Indo Monolog 42 -秒速5cmの国際協力-

大学生の時に見た好きなアニメ。

実写化されているのは知っていたのだけれど、インドネシアに行く前に間に合わなかったのでやっと1年越しに見ることができた。


原作を見たことのある人ならきっと満足できるような映画だったと思う。

「秒速5cmはさくらの花びらが落ちる速度」

そんな作中の言葉を大学生の時から疑わずに信じていた。


内容はまずは見てみてほしいので詳述はしないけれど、

端的にいうなら私が好きな新海監督の「中2病」のボーイミーツガールの話である。


この作品が好きな理由は「共感」という感覚に他ならない。


どこか自分が世界と繋がれる場所へ行きたいと願いながら、どこにも辿り着くことができなかった、そしてそれでもなお歯を食いしばって世界と繋がりたいと試みて秒速5cmで世界の深遠へと歩いていくような物語である。


「秒速5cmみたいな恋をしてみたい」と日本にいるたくさんの中2病を患っている男の人は多いような気がする。


「秒速5cm」は国際協力と似ているのかなと思う時がよくある。


秒速5cm的なメタファーをするのなら、


「秒速5cmの恋をしたい」

=「絶対に叶うわけのない2年間だけの片想い」

だと私は思う。

ここからは映画の話ではなくて国際協力の話。

現場の人ならなんとか共感してくれると願う。






秒速5cmの世界にやってきた。

さくらの花びらが落ちる速度は人間の歩く速度よりはるかに遅い。


私たちには2年間だけしか時間がない。

なんとか2年間の間に自分が出来うる最高の成果を求めたり、

2年間の中の自分がここにいることの存在意義をかけて活動する。


しかし世界は思ったよりも自分が歩く速度よりもゆったりと、

さくらの花びらのような速度で進んでいく。


速いとか遅いとかの話ではなくて、

速度(テンポ)が違うのである。


そして生きている時間が違う。

同じ時間軸で生きているが、


その地にいることが2年間しか許されないその2年と、

死ぬまでその地で過ごす間の、その日常に位置する2年では、

その意味が異なってくる。


よく私は現地の人に「自分の2年」を押し付けてしまう。

それは私がもう知っているからである。

「この一期一会は一生で一度の宝物で、その1日を700回ぐらいだけ繰り返す物語だと」


私にとっての宝物は、彼らにとってはそれはただの日常で、もしかしたらゴミほどの価値しかないのかもしれない。


私はよく秒速5cmのように一期一会で大切なものをたくさん失ってきたので、

できる限りここにある一期一会に対しては敏感に、そして大切にしようと意識していつも活動している。


自分の宝物だと思っている時間を彼らと過ごそうと頑張ると、

彼らにとってゴミのような時間になってしまうことはよくある話である。


彼らは宝物をほしいと思ってもいないし、それが宝物だという認識もない。

むしろゴミだけは絶対に受け取りたくはないと思っているかもしれない。



秒速5cmのその世界で、


もし世界が上から下への世界だとしたら、


2年間はさくらの花びらの砂時計で、


北海道から落ちて、沖縄に落ちる頃にはきっと2年間は終わっていると思う。



2年に2回しかさくらは2回しか咲かないと知っているあなたは、

なんとかその景色を見れるようにその時間を全うしたいと願う一方で、


現地の人たちにとってそのさくらは特別なものではなく、

あなたがいようがいまいが毎年咲く、日々のいつもの光景である。



いつでも見れるさくらと、人生で2回しか見れないさくらの意味は違う。

その意味を失って活動にモチベーションがなくなっていく同期を何人も見てきた。

きっと私も明日は我が身だろう。


「きれいなさくらを見せたい」と願えば願うほどその活動は苦しくなる。


残り1-2年の残された時間のなかで、「さくらを現地の人たちと一緒に見たい」と願うだけならもしかしたらその心は少しだけ軽くなるかもしれない。


さくらの花びらの落ちる速度は変わらないし、さくらの咲く時期も変わらない。

急いでも急がなくても、そのさくらの景色が一生に一度しかないとわかっていても、

2年間の片想いは何も変わらない。



どれだけ想いを伝えたかったとしても、片想いは変わらないし、

映画のようにたいていは伝えても伝わることもなければ、

伝えたいと思ったとしても諦めてしまう。

その恋を終わらせて次に進むために。

あるいは伝えなかったことを後悔してずっと過去を彷徨する。


「片想いと最初からわかっていてその2年間を過ごせるかどうか」


国際協力の資質はそこにあるかもしれない。


あるいは恋さえしなければ、その2年間はもっと軽くて心地よいものになるかもしれない。



秒速5cmはいつも私の「タイミング」に刺さる。

新海監督のボーイミーツガール(ガールミーツボーイ)はいつも「世界との接続」を彼(彼女)との出会いによって試みる物語だといつも解釈している。


最初に秒速5cmを見ていた大学生の時はきっとカンボジアに恋をしていた。

それを引きずって卒業したあとはモンゴルに恋をした。


16-7年経って改めてリメイクを実写で見たいまはインドネシアに恋をしようと必死にもがいている最中である。


あなたの2年間は嫌でも終わるし、なんならカウントダウンまで1年ないし半年を切っている。


それでも現地の人たちは生きるスピードは変わらない。

秒速5cmで、速いでもなく遅いでもなく、現地のテンポで彼らは必死にその時間を生きている。


国際協力はよく生き急ぐ。グローバールノースで生きているからかもしれないし、もしかしたらあなたは2年という与えられた時間に誠実でありたいと願っているから。


焦るだけ無駄なことはこの1年でわかったと思うので、

秒速5cmのその世界で、

あとそのさくらの花びらを何回掴めるかを楽しんでほしいと思う。


掴んださくらの花びらの数が、

あなたがその現地で片想いして振られた数であり、

世界との接続を試みた回数である。


それはあなたが世界に恋をした数でもあるし、

それはあなたが帰国した時に日本へ持ってかえるお土産の数でもある。


国際協力は数を争う活動ではないし、成果を競う活動でもない。


「世界との接続を試みたときに見えるそのさくらの景色を楽しむような活動」だと今この映画を見た後なら言えるかもしれない。



世界と秒速5cmですれ違っていく。

交わることはその1回が最初で最後である。


一期一会のそのさくらの花びらにどんな意味を見出して、

自分の今いる次の世界を歩いていくことができるか。


そのような世界観が、私にとってこの映画をたまに見たくなる理由である。


映画はすれ違いの中で最後まで出会えないけれど、


あなたの残りの時間が、世界と何度もすれ違って、

最後の最後に世界と一緒に振り返って、

現地の人ともう一度きれいなさくらの花びらが落ちる景色を一緒に見れることを願っています。







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