Indo Monolog 50 -魂の救済-
気づけば書き溜めて50もの数になった。
今週でメダンにきてようやく1年。
残りはもう10ヶ月。
少しずつ終わりの準備を始めないといけない。
途上国に来るとしばしば魂を傷つけられることがある。
もしくは昔傷ついた魂を思い起こしているのかもしれない。
目の前にどうすることもできない絶望的な貧困が立ちはだかったとき。
先進国の偽善がその前で一切の役に立たなかったとき。
自分の圧倒的な無力感を途上国が教えてくれたとき。
微塵も彼らは私を必要としていなかったことを受け入れなければならないとき。
自分の現地での命が残りいくばくかだとしてももう後ろを振り返ってはいけないんだとさよならの準備を始めないといけないとき。
同じ時間と空間を共にしているはずなのに同じタイミングを生きることはできないんだと気付かされたとき。
想いが強ければ強いほどその魂は深く傷ついて、呼吸することすら困難になる。
テレビドラマのように走って走って息が続かなくなるような過呼吸みたいに。
そんな傷ついた魂は一体誰が救済してくれるのか?
もしかしたらあなたの信じている神様が救済してくれるかもしれない。
もしかしたら傷つけられた同じぐらいの力で現地の人が癒してくれるかもしれない。
もしかしたら全く関係ないの誰かがふと救ってくれることもあるかもしれない。
そして、もしかしたら誰も私の魂など救うことは最初からできなくて、自分自身で救わないといけないのかもしれない。
途上国に傷つけられたのはでなくて、傷つけたのはもしかして自分自身なのか?と自問自答する日々が続いた。
自分の存在を確認するための自傷行為のように、自分の魂の在り処を知りたくて、
魂の救済を心から欲する時が途上国生活では往々にして起こる。
世界の片隅で今日もその1日を大切に生きている同期を心から誇りに思う。
私は宗教を持っていないけど、もし何かを信仰すれば魂の救済はもしかしたらそんな難しいことではないのだろうか?
途上国では魂を殺されるよかけるようなことが毎日のように起こる。
異文化に生きるということはきっとそれが当たり前のことなのかもしれない。
この魂の救い方を私はまだ知らない。
自分が救うのか。
他者が救ってくれるのか。
未来の誰かが救ってくれるのか?
過去の自分が救ってくれるのか?
もしかしたら大切な記憶やこれからの邂逅が救ってくれるのか?
私の魂はどのように救済されるのか?
そして、
私は誰かの魂を救済することができるのか?
私の残り10ヶ月での宿題である。
誰かの魂を救いたいと想うのと同じぐらい、
私の魂を誰かに救って欲しいと想う時がある。
魂の救済は誰かとの魂の交わり以外に救われることなんかないんじゃと思いながらも、
きっと誰かがどこかで救ってくれると信じながらも、
きっと残りの10ヶ月の間で自らで救う術を探さないといけない。
「君を守らなければとずっと思っていた。僕の魂はいつも君とともにある」なんて言ってもらえはしないのだから。
最後の10ヶ月。魂の救い方を探そう。
救われる側より救う側でいたい。
救っているフリをして救われていたい。
バスケットボールに神様がいるのなら、
私の魂をそこに撃ったのなら、
あなたは私を救ってくれますか?
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