Indo Monolog 49 -邂逅と氷解-

リトアニアの旅は「邂逅」そのものだった。

いつもなら新しい人たちとの出会い、それだけに満足していたかもしれない。


しかし少しだけ不思議な邂逅があった。

教え子のおかげでまるで自分が卒論を書いていた時のカンボジアに戻ったような気分になったのかもしれない。

そして15年前のモンゴルに戻ったような気がしたのかもしれない。



リトアニアにいることが不思議にもインドネシアに今いることを思い出させてくれ、

カンボジアで頑張ったこと、そしてモンゴルで精一杯やりきったことを改めて思い出すことができたから。



私が国際協力に興味を持つことになったのは間違いなくカンボジアでの経験が大きかった。

怪しい東京の大学生にカンボジアに連れて行かれてから私の中の問いはいつも

「バスケットボールは誰かを幸せにすることができるのか?」であり、

それは20年ぐらいたったインドネシアにきた今も変わらない問いであり、答えは今だに見つかっていない。


その答えになんとか自分なりの言葉を見つけたくて今もインドネシアで子どもたちにバスケットボールを教えている。


「バスケットボールのための国際協力」と、

「国際協力のためのバスケットボール」は少し違う。


世の中には「誰かが幸せにならないバスケットボール」そこらへんに転がっている。


いつもそんなバスケットボールを見るたびに、

いつか私がそんなバスケットボールを教えるたびに、


「そんなバスケットボールはないほうが現地の人たちはもっと幸せになれるんじゃないか?」と自問自答の日々が続く。



国際協力に従事する上でいつも知らないうちに自分のエゴが少しずつ姿を現してくる。


「現地に何か差し出したい」と願い、相手が受け取ることを強要する。


「なんで私のやり方を受け入れてくれない?」と自分の正義を押し付ける。


「もー私には残された時間がない」と自分の生きている時間に執着する。


自分がいなくなったあとを恐れて、少しでも現地に爪痕を残そうとする。


「あなたに少しでも自分の何かが残っていてほしい」と現地の人に無理矢理にでも渡そうと躍起になる。



かれこれ何年国際協力に従事してきたかわからないけど、

何年たっても自分のエゴが抜けない。


「あなたに私の何かが残って欲しい」のではなくて、


「私があなたからいなくなったときにあなたの中にバスケットボールが残ってほしい」のである。


バスケットボールがなかったらあなたたちに会うことはできなかった。

バスケットボールがあるから私たちは離れ離れになってもまたいつか想い出すことができる。


バスケットボールはただの邂逅のための口実で、

本当はバスケットボールなんかなくたって私たちの未来に、

バスケットボールよりも大切な何かが残ることが、

私の願う国際協力のためのバスケットボールのカタチなんだと思う。


成果を残したいといつもカンボジアで泣き叫び、

もっと結果を残したいとモンゴルで狂ったようにエゴに走っていた。


インドネシアで少しブレーキを自分自身でかけてしまったかもしれない。

もー子どもではいられないのだと思ったから。



今回、リトアニアで教え子と教え子とたくさん話をしたこと、

リトアニアの人たちとたくさんバスケットボールについて話をしたこと、

そして初めてインドネシアのことから完全に離れたことで見えたものがあった。



「わたしはあなたと一緒にバスケットボールで話をして、あなたと今日過ごすその邂逅した時間を大切に楽しんで、その先に氷解した景色や、そのささやかな未来をあなたと共有したい」のだと。


「あなたのために何かできなければ私の存在意義は無くなってしまう」といつも私は自分のアイデンティティが失われるのを恐れていた。


誰かにありがとうと言われなくなる自分が怖くて、


「誰かを幸せにできないバスケットボールになんの価値もない」と思い込んで、

最初で最後かもしれないそのチャンスにその価値を全て差し出そうと焦っていた。


タイミングは自分の意思で選べない。だからこそその一瞬に最善を尽くそうと努力することが私にとっての良き生き方だと思っていた。


いつも「自分のタイミング」ばかり気にしていた。


でも、大切なのは自分ではなくて「相手のタイミング」をしっかり待って、

相手が欲しいと望んだ瞬間にいつでも差し出せる関係性を築くことが、

これからの私にできることだと強く感じた。



バスケットボールで私が大切にしている言葉がある。


TransitionとCrossoverである。


Transitionは同じ場所や時間にはいることはできないので、

その場所や時間に執着せずに、流れに身を任せながらも都度最善を尽くすこと。


Crossoverは必ず世界と世界は交差するので、もし交差しなかったとしても、

いつかどこかで邂逅や再会がやってくるとささやかにだけ願いながら、

その未来を待ち侘びて今日のこの時間に感謝して過ごしていくこと。



タイミングは私だけのタイミングだけじゃない。

「あなたとのタイミング」で私はあなたとバスケットボールができる。


そしてあなたとのタイミングは残りの期間でやってこないかもしれない。

でも、私は知っているから15年後にそのタイミングが来ることも、

もっともっとその先のことかもしれないことも。

もしかしたらもう一生来ないこともあるかもと。



ただただささやかにほんのちっぽけに祈りながら、

忘れた頃にやってくるもんだと、

あなたとのタイミングを世界のどこかで待っておけばいいのである。



あなたの世界とわたしの世界はいつかどこかでクロスオーバーするはずなので、

あとはトランジションに委ねて私はその来るべくタイミングを大切にしておけば良い。



タイミングとは縁であり、

縁とはあなたと一緒にそこで見た景色。



今はまだあなたと見れなかった景色だったとしても、

バスケットボールはクロスオーバーするもんだから大丈夫。


クロスオーバーを信じるのではなくて、


クロスオーバーを祈るのでなくて、


「あなたとまたいつかその景色を一緒に見たい」と


今日の1日1日を丁寧に過ごしていくことが、

私にできる残りわずかの限られた国際協力の時間だと思っています。



もう少しで任地にきて1年。

そして残り約10ヶ月。


少しでも心穏やかに過ごせますように。


あなたがパスを欲しいと思ったその「タイミング」を、

私は逃さないでパスを出せるように、


あなたの未来で待っています。

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