Indo Monolog 46 -Kaunas Monolog-


カウナスの滞在が終わった。

久しぶりのヨーロッパでイギリス生活をたくさん思い出した。


石畳の街が、夜になるとアウターが欲しくなるぐらいの寒さが、

どんよりした雲が、雨がいきなり降ってきたり、風に殴られて傘が壊れたり、

そんなヨーロッパらしい景色もまた懐かしくて、

またヨーロッパに戻って来れたんだと、

インドネシアから来た身としては不思議に思う。


今回行きたかったところにたくさん行くことができた。

もちろん全てバスケットボールの場所なのだけど、

なぜこの国はこんなにもバスケットボールに狂っているのか?


そんなことが少し垣間見れた瞬間だった。




そしてカウナスで改めて国際協力としての残り1年を考えるために、現地を離れて俯瞰することもまた収穫があった。

リトアニアとインドネシアのバスケットボールはちがう。

メダンとカウナスのバスケットボールもちがう。

カウナスとヴィリニュスのバスケットボールもきっと違うだろう。

リトアニアにとってバスケットボールがどれだけ大切にされているかということがよくわかった一方で、

それをインドネシアに適用できるわけではないし、日本のやり方もなおのこと適用することも簡単ではないだろう。

「庭師であれ」と大学院の先生に教わったのだけれど、

例えば「誰もが安心できるような庭を作りなさい」というミッションだったときに私はそこのピースメーカーになれるだろうか。

「より良い庭」は「心地いい庭」とは限らないし「心地いい庭」は「安心できる庭」とは限らない。

バスケットボールを教える時は、

Player Centred という言葉があるように、

選手を全て中心にして考えていくことが望ましいとされている。

当たり前である。バスケットボールは選手がプレイするもので、コーチは試合中に1点も自力で取ることはできないのだから、

しかしこのごくごく当たり前のようなその考え方にアジャストできないコーチがたくさんいる。

私もきっとそのうちの1人だろう。

プレイヤーズセンタードは選手を好き勝手にさせることではない。

プレイヤーズセンタードは選手が中心になってチームを回せるようにコーチが「庭づくり」することである。

難しいのは「誰でも安心してターンオーバーできる環境」を構築できたとしても

ターンオーバーの種類によっては選手を咎められる環境も同時に必要で、

咎められたとしても、安心してもう一度チャレンジできる環境、

つまりは信頼関係やレジリエンス、そして前を向く意思を育てないといけない。


弾力としなやかさ、

軽さとなめらかさ、


バスケットボールはついつい固い何かを求めがちだけど、

私はもっとやわらかいものが欲しいなと思う今日この頃である。

「君にとっての大丈夫になりたい」という歌詞が最初はあまり意味がわからないことがあったのだけど、

「あなたにとっての安心でありたい」と少しにしているのかなと思うようになった。

タイミングをいつも狙っていることは安心からはほど遠い。


タイミングを大切にしたいと願う一方で、

タイミングを願えばお決まりの「時間という名の暴力」を押し付けてしまう。

「あなたにとっての2年間の安心でありたい」のか、

「あなたにとって私との2年間が大丈夫になってほしい」のか。


まだまだ私には答えは見つからないのだけど、

時間をもっと大切にしようとする「重さ」と一緒に、

そんなしょうもない時間もいつか愛おしくなるという「軽さ」を同時に持っていて欲しいと思う。


何かを成し遂げたいという重さ、

何者になれなかったとしてもまーいいかという軽さ。


残りの1年間を軽やかに歩きながら、

「私とのバスケットボールはいつかあなたの何かになるかもしれないよね?」という淡い期待をほんの少しだけ込めて、

おすそ分けできればと思う。


さて、そろそろバスがヴィリュニスに入る。

リトアニアの私の旅も終盤。


もー少しだけ私が見たかったバスケットボールを見れたらと思います。

久しぶりのヨーロッパ。初めてのリトアニア。


軽やかにトランジションしていきたいと思います。


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