Indo Monolog 41 -うまくいかないとき-

バスケットボールにしろ国際協力にしろうまくいかないときが必ずある。

人生においてもそれはきっと同じだろう。


結果がわかってるゲームほど、


全てが成功するような人生ほど、

(あったら一度は体験してみたいものだけど)


面白くないものはないだろう。


バスケットボール(あるいはスポーツ)の醍醐味は、

勝つか負けるかわからない、

もっといえば勝ちたくても勝てないときだろう。


だから勝った時に多くものを得ることができる。

もちろん負けたとしてもたくさんの財産だって生まれる。



うまくいかないことが続くと、カラーバス効果か、

お祓いに行かないといけないんじゃと思ってしまったりする。


うまくいかないことが続くと自己肯定できなくなり、

活動のモチベーションを失ってしまう。


でも少しだけ考えてほしい。


もし活動がうまく行かないと思った時は


・それはあなたがサボらずに頑張っているからである。


・国際協力においてその異文化の衝突はマストと言ってもいいぐらいの異文化理解にとって必須のイニシエーションである。


・うまくいかない時ほど普段の生活で徳を積んで自分をしっかりと肯定すること。


・うまくいかない時ほど活動から少し距離をとって俯瞰してみること(自分から幽体離脱できるか)


・うまくいかない時はそのレジリエンスのために、転んでもただでは起きないこと。


・うまくいかないときにチキってチャレンジを恐れず、確立もの(くじ引きに外れる時と当たる時がたまたま続いただけだと)としてあたりの後は外れるし、ハズレの後は当たることもあると淡々とくじ引きを引くこと。



あなたが現地と揉めたとするならば、それはあなたが諦めていない証拠。

なんとかしたいと模索している証拠。

必然のプロセスとして国際協力のプロセスを辿っていると自信を持って肯定すること。



大切なのはひたすらその後のレジリエンスで。


バスケットボールも同じで、

ミスはつきものであるから、

ミスを減らす努力と、ミスが起こった後に、一番最適な応急処置のような行動を取れるかどうか。


感情的にならないで、悲観的にならないで、やさぐれて自滅的にならないで、

ただただレジリエンスとして、リカバリーとしてその時にできる最善を尽くすこと。



あなたがそこに行った目的を忘れないでほしい。


あなたのエゴ(日本人の正義)を押し付けに行ったのか?


現地を変えること or 現地が変わることを望んだのか?


相手を変えるのと自分が変わるのはどっちが簡単か?


自分のプライドと相手の幸せはどちらが大切か?


自分の意地と彼らの意地はどちらがより頑固で救いがないか?


あなたの人生にとって大切なものはその場所で作られているか or 失われているか?


もしもあなたが大切にしているものが、現地に搾取されているかもしれないと感じたら、その大切なものはあげる必要はない。


もしもあなたが大切にしているものを、現地の人が喜んでくれるなら、あげ過ぎに注意して、自分の幸せをキープできる範囲で彼らにたくさん渡せば良い。


1年経つと


慣れたからこその中弛み


油断


怠慢


傲慢


我慢の限界


モチベーションの継続


新鮮さがなくなり


初心を忘れ


距離が近くなりすぎて執着したり


諦めて現地に身を委ねてしまったり


感謝を忘れたり


気づけば敵だらけになっていたり


不信感が募ったり


まぁいろんなことが溜まっては弾ける、きっとそんな時期な気がする。



今までがうまくいきすぎていたとか、


やっとここまで来たのにまた0からかとか、


なんでそんなことしてしまったんだろうとか?


不慮のアクシンデントや


自分では大丈夫だと思っていたのに張り詰めた糸が切れたり、


たくさんの2年目の試練が訪れる時がある。



うまくいかないときはあなたが試行錯誤して努力しているということを忘れないでほしい。



試行錯誤していなければ、うまく行っていないことすらきっとわからないはずだから。



100通り試してうまくいかない時は101通り目を探すだけ。


一つずつあなたはうまくいくために選択肢を削っている作業をしていることを忘れないでほしい。


あなたはその「目に映る人」を変えたいのか?


それともその組織を変えたいのか?


組織のマネジメントを変えたいのか?


組織のシステムを変えたいのか?


はたまた自分が自分が変わりたいのか?


あなたの大切なものを大切にする残りの1年であってほしい。


手には2つしかものを持つことができない。


3つは持てないなら、大切でないものは捨ててしまわないと新しいものは拾えない。


捨てたいものは希望?それとも絶望?


拾いたいものは誰かの笑顔?それとも自分のプライド?


あなたはこの1年できっと現地に順応し始めてこれたと思う。


きっと語学も上手くなってコミュニケーションもラポールもきっと間違いなく前に進んでいると思う。


間違いなくあなたは1年間必死に我慢して、大切なプライドたくさん捨てて、たくましくなったと思う。


だからこそ今そのレジリエンスでしっかり成長したからこそ、

今まで見えてなかったものが見えるようになって、


なおのこと今自分の無力さを嘆いたり、容赦ない絶望の深淵で残り時間のタイムリミットの狭間で泣いているんだと思う。


自分を(1年の成長がすごすぎて勘違いして)きっと過大評価しすぎて、きっとまた自分のことを過小評価するんだと思う。



現地に感謝できる人は強い。


現地に抗い続ける(ネゴし続けられる)人は強い。


現地をまず受容しようとできる人は強い。


変えられない現地絶望するより、変えられる自分に希望する人は強い。



国際協力は綺麗事ではない。

そして大体お上の人は綺麗事ばかり言うから。


あなたがいちばん現地を見てるんだから、

あなたがいちばんそこの人たちと一緒にいつも暮らしているんだから、

あなたにしか見えない世界がそこにはきっとある。


綺麗事じゃどうにもならないってことはいちばんあなたがわかっている。


その2年間の咀嚼こそが、あなたの次のステージへのレジリエンスだってこと。


2年間のアルバイト?だったとしたら、もー1年がすぎて折り返し。


1年間でいくら貯まった?


お金の話ではなくて、


心の貯金。


レジリエンス貯金。


自分の成長の貯金。


自分への感謝の貯金。


現地へのリスペクトの貯金。


あなたの国際協力の貯金はいくら貯まりましたか?


あなたが恋焦がれていた国際協力の理想にはどこまで近づけましたか?


あなたがずっと泥にまみれながら、泣きながら理想に向かって毎日発狂しているその姿こそが、国際協力のいちばんの近道だったって今なら少しは理解できるかもしれない。


1年前のあなたに何て声をかけてあげますか?

「任地はそんなに甘くないぞ」って?


「意外とやれてるよ」って?


応募する前のあなたにどんな声をかけてあげますか?


「思ってたより意外とやれてるよ」って?


「やっぱり応募するのやめとけよ」って?



1回目をすでに経験しているのに、2回目また同じ失敗をするような人もいたりして。


少しだけわかったと思う。


世界はどのようにして成り立ってて、


日本はどのように今の日本に成長(あるいは退化)して、


自分のアイデンティティは日本人らしいのか?

それとも実は現地人らしいのか?


答えがひとつじゃないことも、


現地に迎合しても自分は幸せになれないことも。



最近思ったこと。


自分が少しずつ嫌な大人になっていく。


自分が少しずつ「子どもの時になりたくなかった大人に」近づいていく。


自分が少しずつバカにしていた大人と似通っていく。


自分がそんな風になるわけないと思っていた漫画の悪役になっていく。


それは大人の階段とも言えるかもしれないけど、


きっと子どもの時の自分が今の私を見たらきっとがっかりするだろう。


「自分の中で大切にしていたかっこいいそのアイデンティティはどこに行ったの?」と。



ずっとピーターパンでいたかったはずなのに、


気づけば自分がいちばんなりたくなかった存在に近づいていく。


バッドエンディングが先にわかっているなら、間違いなく自分でそれを回避できるはずなのに、気づけばやさぐれてそれを選ぼうとしている自分がいる。


人はなぜ事前に最善手をわかっているのに悪手を引いてしまうのか?

まるで悪魔と握手するのことで自分を慰めているように。



あなたが1年目で変わらず守っていた大切なことを、少しだけやり方を変えて、ほんの少しだけ自分のプライドを現地の幸せのために変換して、ほんの少しだけ自分の欲しかったものを思い出にして、今その目に映る人たちのために自分がしたいことをやり続けて、自分が苦しいことを正直に現地の人たちに伝えて、お互い泣きながら腹を割って、一緒にご飯を食べて、お酒を飲んで、歌って踊ってみると、もしかしたら悪の連鎖は断ち切れるかもしれない。



バスケットボールにおいて「悪い流れ」は人為的に切らないといけない。

「いい流れ」は終わるまで継続しないといけない。



流れはずっと同じじゃないから。


もしあなたの活動がうまくいなかった時は思い出してほしい。


あなたが見ている夜空を、世界中で同じように見上げている人がいるということ。


最近習った。


「自立とはどれだけ多くの依存先を自分が持ち合わせているか」


自分の足で立っていると思ったらきっとそれは勘違いで、

思ったよりも自分の足はいろんな人に支えてもらっている。


支えてくれるのはいつも同じ人じゃなくていい。


知らない人でも別にいい。


もしかしたらそれは自分が好きな人じゃないかもしれない。


それでも誰かに支えられて、あなたはそこで自分の足で立っていられている。


うまくいかない時は思い切ってこけてみてもいいかもしれない。


意外ともーあなたはこの1年でたくさんの人に出会っていて、

きっと意外な誰かがあなたを起こしてくれたりもする。



あなたの1年間は自分が思ってるよりも、現地の人は見てくれているはずだから。



残りの1年は、あなたが自分の人生を使いたい人に使ってあげてください。

無駄だと思う人に使う必要はないから。


あなたを待ってくれている、あなたのことを大切にしてくれている人に使ってあげてください。


どーせあと1年たてば日本人に戻るんだから。



あなたが愛そうとした世界、


あなたを愛そうとしてくれている世界、


どんな笑い声が聞こえてきますか?



あなたが子どもの頃に憧れた大人に、


あなたが昔憧れた国際協力の先輩に、


今、あなたが少しでもそれに近づけているといいなと願っています。




0コメント

  • 1000 / 1000