Indo Monolog 36 -反抗期と教育のつくりかた-

とうとうやってきた反抗期


むしろ遅すぎたぐらいの反抗期。


今回はハネムーン期や倦怠期のようなものもなかったので、

「もしかしたらこのままいけるんじゃ?・・・」


と思っていた9ヶ月目にとうとうやってきた反抗期。


昔むかし、子どもの頃に叔父に言われた。


「あつきも反抗期がとうとう来たね。でもそれは大人になるための成長の証だからね」


とキレている私を鼻であしらっていた。


少しだけそんな昔のことを思い出しながら、

この感情を忘れないうちに今日は書き残しておきたいと思う。



反抗期が来るのは当然のことである。


なぜならここは途上国であり、

たくさんの異文化をアクセプトするために、

毎日たくさんの我慢をして、

辛抱強くたくさんの観察をしながら、

歩くスピードをしっかり現地の人に合わせながら、


あなたはこの1年目を二人三脚してきたはずだから。



それを人は


諦めというのか、

絶望というのか、

妥協というのか、

迎合というのか、


はたまた


肯定的順応なのか、

自己成長なのか、

利他的自己犠牲なのか、

楽観的諦念なのか、

哲学的承認なのか、


同じ経験だとしてもその解釈はきっとあなた自身が噛み砕くものなのだと思う。



反抗期はきっと来ない人もいる。

いい意味でも、悪い意味でも。



反抗期が来る人もいる。

いい意味でも、悪い意味でも。



よくもわるくも私は後者だった。


しかし私にとってのこの反抗期は2回目である。

だからこそ今回はこの反抗期にアジャストしないといけない。



なので今回は心の片隅にこうなった時のための置き手紙を残しておくことにした。

きっとこれは15年前の自分からの戒めが届いたと思う。




①絶対に自分のエゴを途上国に押し付けないこと。


②自分の時間は自分に使う。


③世界の愛しかたを思い出す。




途上国の主人公は私ではない。

私が活躍する必要も、功績を得る必要も、焦って成果を求める必要はどこにもない。



自分の日本人のサガがそこに現れそうになった時に考えないといけないことは、

「自分のやりたいことと、彼らが望むことのギャップ」の乖離を埋めることである。



知らず知らずのうちにそのギャップの乖離に人は苦痛を覚え反抗期となることがほとんどなので。



この8ヶ月で数え切れないほど「見て見ぬふり」をしてきた。

自分にはどうすることもできない残酷な現実がそこにはある。


エゴを通して戦うこともできたかもしれない。


でも、今回私がしたいことはエゴを通すことではなく、

むしろ自分のプライドをへし折ってでも

「彼らのスピードで彼ら自身の力で彼らが幸せになれる最善手を探し出すこと」だからである。



15年前にお世話になっている先輩に言われたこと。

「あつきは他人に時間を使いすぎる。もっと自分のために時間を使ってあげないと。他者に依存しないこと。そしてもっと自分を大切にすること」



途上国でボランティアをしているとしばしば自分のことを大切にできない時間が増える。

ようは無駄な時間を他者に割いてしまうということ。

(もちろん無駄な時間を自分で浪費することが論外なのでここでは省略)


無駄じゃない時間を他者に割くことは何の問題もない。

それはきっとボランティアのあるべき姿だろう。


問題なのは「誰も幸せにならない時間」を自分のエゴで他者に使ってしまう時である。


自分の時間は自分のために使わないといけない。


「私の時間を返せ」と思うような時間は他者に割いてはいけない。


あなたの人生の時間はあなただけのものである。


あなたが他者のために心から使いたいと思う時間は好きなだけ他者に使うべきだけど、

他者のためにならない時間、

自分の自己満足で使っている時間、

他者にとってあなたの時間が全く価値をなさないような時間、

感情的に流されてしまう時間、


自分が後々に振り返った時に後悔するような時間は今一度見直したい。



生き急ぐことと死に急ぐことはどちらがいいかは私にはわからないけど、

自分にとっての幸せはどちらなのか?


そしてどちらの方が途上国の人は喜んでくれるのか?


改めて自分の現在位置をマフラーを首に巻いた鳥のように俯瞰したい。




途上国に長いこと住むとしばしば世界の愛し方を忘れてしまう。


間違いなく自分が日本に住んでいた時にはしなかった選択肢を今も選んでいる最中だろう。


先進国にいた自分と途上国にいる自分が2人で矛盾を抱えながら、

自分の心の中で葛藤とともに今も途上国を愛そうと必死に戦っている。



自分の中の悪魔は世界を愛し方を忘却させる。


途上国の愛し方は少しずつ覚えてきたけれど、

世界は途上国にいるあなたと、先進国にいたあなたも含んでいる。



途上国のたくさんの人に新しい世界の愛し方を教えてもらって、

自分のことを愛する方法を忘れたり、思い出したりもする。



想い出してほしい。




あなたの世界は幸せですか?




世界の中のあなたは幸せですか?




あなたの世界の彼らは幸せですか?



あなたが毎日会う途上国の彼らは笑っていますか?



世界の愛し方を忘れた時は、愛ができることは何だったか思い出す時である。



世界と同じぐらい自分を愛せる力を今回の反抗期では身につけられるようにしたい。






話は変わるが、


今回は「教育とは何か?」という問いがずっと活動の中で私の頭の中で彷徨っている。


15年前はずっと自分の中にある教育哲学を貫くことだと思っていた。

モンゴルの時は自分の正義を疑うこともなく、何があっても絶対に譲らなかった。


しかし、インドネシアに来て少しだけその感覚が変わった。



教育は正義の押し付けになってはいけない。


子どもの時の自分が救われるような指導をしなければならない。


アップデートはまずは教育者から始めないといけない。



なので教育とは


「昔誰かに教えられた大切なものを次世代に対して自分の時よりもより良く育むこと」


教育は手段の話ではなくて、子どもたちがどう成長できるかの話である。


手段よりも目的のほうが大切である。



なぜなら同じ手段で誰もが同じ場所(目的)には辿り着けないからである。


教育に魔法はない。


私は魔法使いにもなれはしない。


練習せずに試合に勝てるわけもない。


教育なしに規律など身につきはしない。


そして、自己犠牲なしに教育は成立しない。


私はたくさんの人に教育してもらい今の私がいる。


そして今は私が教育する立場で今も途上国でバスケットボールを教えている。




私の声は果たして彼らには届くのだろうか?



彼らの反抗期に私が彼らのためにできる教育は何なのか?





エゴを押し付けずに彼らが幸せになる術を模索して、

まずはこの3ヶ月しっかり勉強して、


アップデートしていきたいと思います。




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