Indomonolog 33 -Jakartaという街-

おおよそ半年ぶりに首都に来た。

15年前は首都(ウランバートル)で暮らしていたので、

今回は田舎で暮らすことで少しだけ首都ではない人の気持ちがわかったかもしれない。

(とはいえ任地も普通に大阪といい勝負するのでは?と思ってしまうほどであるけど)



明日のフライトがあるので今日はさすがに寝ないといけないので、

しっかりと今回の滞在は任地に帰ってから改めて書き直すとして、

副交感神経優位になるまで今の心情を書き残しておきたい。


記録ではなくて、「記憶の熱」を保存しておく作業である。


任地からジャカルタという首都に来るのは、

大阪の田舎から東京へ上京する感覚に少し似ている。


首都(Ibu kota)というのはうまいこと説明できないが、やはり首都なんだと今回感じさせられた。


ウランバートルに住んでいた頃はCity Boyだったが、

(とはいえ全く街のことを知らないぐらい活動範囲は広くなかったが・・・)

今は完全にお上りさんになってしまった。



首都に住んでいる時は、首都よりも田舎で活動することに憧れていたけど、

田舎に住んでいると、やはり首都のエネルギーは凄まじいなと感じて、

やはり(情報への)アクセシビリティの点では首都に住んでいないといけないなとも感じつつ、それでもやはり今回は田舎の任地でよかったなと、要はどっちのいいところも改めてしれて勉強になった。


田舎で活動する自分にとって、首都で滞在する時間などなんの意味もないと思っていたけどそんなことはなくて、私に会いたいといってくれる現地の人たちがいるのであればそれは充足した時間である。


いつも東京に行けば必ずたくさんの人たちが私に会ってくれるように、

ジャカルタに行けばたくさんの人たちが私に連絡をくれる。

日本人ではなくてインドネシア人がである。


インドネシア人の人たちは本当に「気持ちがいい」

モンゴルの時もそう感じていたけど、


「そこにいなくても、そこにいても、自分が望みさえすればそこにいれる」ということはなかなか今まで日本では感じれなかった感覚なので、いつか時間のある時にもう少し言語化できればと思う。


珍しく少しだけ心惜しい首都滞在であったが、近いうちにまた上がる予定もあるので、

次来るときはもっと計画的にたくさんの人に会えるようにアポイントメントをとっておきたいと思う。


「任地から離れる」という感覚は昔だとすごい怖くてなかなか簡単に動くことができなかった。(そもそも首都だったので動く必要はなかったが。。。。)


しかし、今回は意図を持って、しかるべきタイミングで離れられる技術と運と関係性を持っていれば、そんなに悪いことではないなと実感した。



特に今回は現地のみんなと一緒に来たので、

本当にためになるエスノグラフィーだった。


毎週一緒に私の家でバスケする仲間と四六時中一緒に過ごせたことは、

エスノグラフィーのこの上ない貴重な時間だった。


ほんとかどうかはわからないが「来年も一緒に行こうな」と誘ってくれた。


そうか、まだもう一回行くことができるのか。


次回はもっと準備をしていこう。


実り多いジャカルタ遠征となりました。

帰ったらサボらずに記録として改めて書き連ねたいと思います。


ますます忙しくなっていきそうで、

嬉しい限りですが、充実しすぎはやるべきことをやれないので、

もっともっとスペックアップしたい次第です。


それではまずパッキングの準備から。


明日何ごともやらかしませんように。




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