Indo Monolog 32 -レジリエンス-
最近アウトプットを怠っているとだいぶ日が空いてしまった。
よくない限りである。
毎日のようにIGで記録している同期や、
毎週ちゃんと必ずアウトプットしている同期を見習わなければならない。
記録をサボり始めるとアウトプットが追いつかなくなり、
本当に2年間を振り返るときに困るからである。
インプットが増えるのは良いことである反面、
記録できないことが当たり前になると本当にもったいない。
2年間の記録は全て貯まれば後でAIが1冊の本にでもしてくれる。
もしかしたら映画化だってAIがしてくれるかもしれないような自分だけの物語である。
なんとか記憶を繋ぎ止めるようなアウトプットを日々の生活にかまけて怠らないように挽回していきたいものである。
そして薄々気づいてもいる。なぜ最近日々の生活にかまけているのか。。。
やりたいこととできることとやってほしいことが増えてきたからである。
自分が思っているよりも語学をサボっているのにも関わらず、
自分が思っているよりもボキャブラリーが増えていないにも関わらず、
自分が思っているよりも英語が落ちているにも関わらず、
自分が思っているよりも現地の人たちに
「あつきはもうインドネシア語だいたい大丈夫だな」と思われはじめたからである。
まだインドネシアに来て8ヶ月もたっていないのに何を言うのだろうと思う。
少しずつ現地の人たちが容赦無くなってきた。
はい?
それだとさすがにミスコミュニケーション起こるでしょう?と思ってしまう。
できるだけ使わないように努力していたデジタル翻訳も少しずつ増えてきてしまった。
スマホを使えば使うほど、翻訳に頼れば頼るほど自分の語学が伸びないことを痛感する。
翻訳の精度も相まって間違って単語を覚えたり解釈するとニュアンスが変わる。
言葉は生き物である限り、生の文脈から勉強しなければその背景は掴めない。
辞書に載っていない文脈を解釈するために繰り返し現地の人の言い回しを真似ていくことが日々の課題である。
スラングが増えてきたせいで、大阪弁みたいなインドネシア語になってきてしまった。
きっとこれではオフィシャルな場所でのプレゼンテーションはできないかもしれない。
少しずつ時間を割いていこう。成果物を作っていく時間を。
アウトプットが減ってきたのはいくつか原因がある。
1. 性悪説ならぬ性怠説で人は楽したい方に流れる生き物であること
2.アウトプットよりもインプット(会いたい人に会うことを優先する)が増えてきたこと
3.ルーティンとしてアウトプットの時間を作れていないこと
あなたの活動はいわゆる一般的に言われている活動の「それ」っぽくはないよね?
と言われることがあるが自分でもその通りだと思う。
なのでいわゆる活動の倦怠期が絶望期やレジリエンス期がしかるべきタイミングで来なかった。反抗期が来ないで大人になってしまった子どものように。。。。
何が言いたいかというと、
もちろん国際協力の現場らしいことが目の前に立ちはだかるのだけど、
「ん?こんなタイミングだったっけ?」と思うぐらい昔に比べてタイムラグを感じる。
なので、アウトプットの大切なことは。
心情の推移、つまり自分の「価値観のトランジション」をしっかり記録しておくことが大切である。
自分はこの時にこの感情を抱いていて、
気がつけば自分はその感情は違う感情に変わり、
今はもうしっかりとその感情を乗り越えて打ち勝つことができていた。のような推移である。
毎日体重を測っていないとその推移がわからないように、
髪の毛や髪型が日々変化するように、
「心の動き方」は記録していないと自分で追い続けることは難しい。
後で振り返った時にグラフにするためには、
できるだけ多くの日に、感覚を空けずにアウトプットを残しておくことである。
(毎日日記書いてる人は本当に財産になると思う)
個人的には
日本語を使う時間=活動量が落ちている
という計算式を用いがちではあるが、
自分を見直すための日本語の使用は時には大変効果的であるようにも思う。
日本語が下手になることは、活動に従事している証拠だと誇っていい反面、
自分の脳内を言語がする時間が減ってきた証左でもある。
「自分を振り返られる能力」=Reviewする時間を作る能力とも言える。
久しぶりの人と話をするとその時間の経過に、
自分の心のトランジションに気づくこともできる。
「あつきはインドネシアに来てもうすぐ3ヶ月だね」と言われていたのに
「あつきはそろそろ8ヶ月ぐらい経ったよね?」と言われて、
そろそろやばいことに気づく。
「気づいた頃にはもう遅い」ととあるマンガがJPOPの歌詞を揶揄しながらメタファーしていた。
その通りである。
「あつきにはこのまちでバスケットボールカルチャーを作ってほしい。それはあつきが帰った後もレガシーになるように」
CPに言われた一言である。
もー8ヶ月がたったと言うことは、
終わりを見据えて、自分が帰国した時のことを想定して、活動を逆算していかないといけない。
後任に渡せるものを成果物として残しておかなければならない。
後任が来れなくなったとしても、子どもたちに何か渡して帰らないといけない。
(そのためのカピパラ戦略でもあるのだが。。。。)
現地の人たち「あつきは〇〇だった」と後世語り継がれるような、
何かそこにはまるものを日々の生活の中で伝え続けていきたい。
やりたいことが増えてきた。
ランゲージバリアーが少しずつ解消されてできることも増えてきた。
途上国は計画性よりも臨機応変性が問われていく。
1年後の最善よりも、今日のこの日のベストパフォーマンスが優先される。
それでも私たちは日本人である。
未来を逆算する能力は譲ってはいけない。
どれだけ途上国の人に
「そんな未来ばかり悲観してどうするの?」と言われようが、
国際協力の望まれる姿は、
「未来を繋ぐ」作業である。
現在を現地の人と協働して、
彼らの将来に「私のいない」未来を託すのである。
彼らが自分の葦で考えて生きていけるように。
私が教えたいバスケットボールは「競争」ではなく「共創」である。
私が好きなバスケットボールは、
CompetitionではなくMix Upである。
争って競って蹴落とすものではなくて、
共にあるべく理想のバスケットボールを創り上げていくことである。
相手なしには成し得ないのがバスケットボールの特性のひとつかもしれない。
仲間ではない、けれども一緒に奏でなければ理想の音を奏でることができない大切な相手である。
他者に無関心にならないように「共に生きていこうとする力」を子どもたちには学んでほしいと思います。
活動報告書を書きながら思ったのは
「自分の活動のターゲットはSDGsでいうとどこになるのだろう?」
バスケットボールは基本的にSDGs 4にしかならないのだが、
バスケットボールを通して自分が目指したいターゲットは一体どこなのか?
4以外なのか?はたまたSDGsの物差し以外のところを私は望んでいるのか?
これはこれからも私の博士課程の課題となるだろう。
さて、今日はフライトの日である。
こんなことをしている暇はない。
まだパッキングも終わっていない。
しかしそれでもアウトプットをサボってはいけない。
まとめてアウトプットなど不可能である。
1日一行でも毎日継続している人が一番強い。
せっかく今日は奇跡的に早起きできたので、
「早起きは3行の得」ということで朝から良き脳の整理となった。
脳は自分でメンテナンスしないといけない。
「脳に刺激を入れることで日々の活動の健康が保障される」
人によってメンテナンスの方法は違えど、
脳からしっかりと良きホルモンを分泌しないといけない。
あなたの幸せホルモンはいつ出ますか?
私は温泉に入ってる時です。
いちばんアイデアが空から降ってくるので。
毎日お風呂になど入れないのが活動というものなので、
日々の生活の中に少しでも自分がレジリエンスできるルーティンを作っていきましょう。
心配しなくても1年前の訓練中よりもあなたは強くなっています。
逞しくなってむしろ図々しくなったぐらいでしょう。
自分のレジリエンスを、途上国のあなたの目に映る大切な人たちにもおすそ分けしてあげてください。
あなたのレジリエンスは
現地の人たちの「未来」です。
0コメント