Indo Monolog 31-What's your deepest fear?-
インドネシアに来てそろそろ7ヶ月。
何かもがうまくいきすぎてついつい途上国にいることを忘れてしまう。
しかしここは途上国である。
2026年4月15日、久しぶりに途上国のリアルを思い出した。
この感覚は、
最初はカンボジアで実感し、
後にモンゴルでそれを痛感し、
現在、インドネシアでまた俯瞰することになる。
途上国は日本の比にはならないぐらいの理不尽が詰まっている。
自分の無力さをどれだけ嘆いても何もすることのできない残酷な世界である。
「日本だって・・・」という意見もあるかもしれないが、
途上国に一度でも住んでみればきっとわかってもらえるだろう。
日本で生きてきた経験など微塵も通じない、
世の中の不条理が有象無象に現れるサバイバルの日々を。
先輩たちのビデオメッセージはいつだって
「身体を大切に。生きて帰りなさい」
そんなものばかりなのはいつになっても変わらない。
それが途上国という国だから。
私の国際協力の原初体験は間違いなくカンボジアである。
当時チャラチャラの医大生にカンボジアに一緒に行くぞと誘われたのが私のバスケットボールジャーニーの始まりである。
チャラチャラした医大生は気がつけば医者になり、
毎年、命を落としてもおかしくない途上国の新生児の命を救い続けている。
途上国でゲームチェンジャーになるべく今もフロントランナーとして走り続けている。
私の職種は医療職ではない。
誰かの病気を治すことはできない。
もし誰かが病気で伏せっていたら私はただただ黙って彼を見殺しにしてしまうだろう。
カンボアジアで私が学んだレッスンは
「あなたの命は私では救えない」ということだった。
モンゴルで私が学んだレッスンは
「バスケットボールは途上国では微塵の役にも立たない」ということだった。
インドネシアで私が学んだレッスンは
「15年たっても私の無力は何も変わらない」ということだった。
簡単に命が消し飛んでしまうこの世界では、
今日会うことができた「誰か」に明日また当たり前のように会うことはできない。
「どうせまた明日も会うし、明日でいいか」と思っていると明日はやってこないのが、
途上国の現実である。
昔、カンボジアで涙を流していた女性に会った。HIV感染者の女性だった。
「もう彼女に次会えることは絶対にないだろう」と思い偽善者のように私は振る舞い彼女の話を聞いていた。
カンボジアにホームステイしていた時に、ホームステイ先の同世代の女の子が急逝した。
まだハタチそこらで「あつきさん、日本のシューマイは美味しいですね」と最後に言葉を残してこの世を去った。彼女は実家に帰って療養することになって、寸前のところで彼女の死に目に会えず私は日本へ帰国した。
しばらくしてカンボジアに行くチャンスができた。
15年ぶりに彼女の実家へ行き手を合わせてきた。
彼女の遺影はあの時と変わらないままだった。
今月の4月15日、インドネシアでお世話になった人が急逝した。
つい先日コーヒーを飲ませてもらったばかりだった。
途上国は命が「軽い」
価値の話ではない。
重さの話である。
「人がゴミのよう」に簡単に命が消し飛んでしまうこの残酷な世界。
私の国際協力の原点は
「このクソみたいな世界で私の力などなんの役にも立たない」
と
「無力を言い訳に、微力になることを諦めるな」
この狭間でずっと生きていたように思う。
What's your deepest fear?
好きなバスケットボール映画の一節にひとつの問いがある。
子どもの時は問いの意味も、応えの意味もわからなかった。
バスケットボールに関係あるのか?とずっと思っていた。
しかし、今ならこの問いの意味もわかるようになったし、
自分の応えもいくばくながら出せるような気がした。
映画のアンサーを借りるとしたら、
「私のいちばん恐れているものは、
途上国の誰かの闇に私という光を当てられない(当てようとしない)こと」
私は彼らの命は救えはしない。
バスケットボールの普及などこの国の貧困に1mmも寄与しない。
それでも私は言い訳はしない。
途上国の誰かと、
私と1秒でも「生」を交わしてくれたあなたに、
私という光を感じてくれて、
1秒だけでも笑ってくれて、
その闇と痛みが1秒でも消えてくれたなら。
私のいちばんの恐怖は、
「自分が誰かに光を当てる意思を失うこと」
私は途上国に遊びにきたわけではない。
旅行しに来たわけでもない。
人生の夏休みを謳歌しに来たわけではない。
途上国の闇を1秒でも長く照らすために来たはずである。
カンボジアの時からそれはきっと変わっていない。
その意思を失った時は私が日本へ帰らなければならない時だろう。
途上国ではできることできないことがある。
私には病気の誰かを治せはしない。
私にできることはバスケットボールを通じて、
誰かの闇を少しでも多く照らして、ひとつでも多くの笑顔をつくることである。
来年の4月15日はまだインドネシアにいると思うので、墓参りに行きたいと思います。
その時はまたコーヒーを入れてください。
砂糖たっぷりの甘ったるいインスタントコーヒーを。
Allah Yarhamoh
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