Indo Monolog 29 -Peace Maker-

インドネシアに来てそろそろ半年がたって、

ちゃんと「いつこの日が来るのか?」と気にしていたけどやっぱり忘れていた。


そう、「日本語がいらなくなった瞬間」である。


モンゴルの時もそうだったが、いつの間にか日本語を介さなくなったとき。

さすがにあの時は半年以上かかった気がするけど、インドネシアでは幸い半年かからなかった。(いついらなくなったが全然気づかなかったが、おそらく3-4ヶ月目ぐらいじゃないだろうかと勝手に今思い返している)


インドネシア語→日本語(ここまでリスニング)→日本語→インドネシア語(スピーキング)

の脳内処理からやっと日本語がカットされた。長かったようで短かったかもしれない。もちろん語彙は大して増えていない。そして少し流暢になっただけで、間違いなく私のスピーキング力ではなくて現地の人の理解力(下手な言い回しも、下手な私のアクセントやLとRのできない発音も)や私の下手くそな言語を再意訳する能力が増したと考察される。


とにかく、やっと今日気づいた。

「あーやっとこの日が来たんだ」と。


しかしながら、この日はあくまで「できるだけ早く来たらいいスタート」のようなもので、

ここからが本当に真価と進化と深化が問われていく。



「2年間で話せる語学などたかが知れてる」と思った時点でそこからの進化はない。


「語学は早々に諦めて、AIの勉強をしよう」と思った時点で深化もない。

(賢い選択肢ではあるけれど)



言語は活動にマストではない。

なくても生きていけるので、別にデジタル器具を駆使すれば良いだろう。



しかしなぜ努力を続けないといけないのか?



私の答えは2つである。


1つは「彼らの世界をより深く知れるから」


1単語でも聞き取れると、文脈でその瞬間を理解して、状況を把握できて、活動に大切なヒントをそこで得られるから。


もう1つは「彼らは私たちの2年間をずっと見てくれているから」

語学の上達は自分たちでは理解できない。

しかし彼らは2年間私たちの成長を見届けてくれているのである。


3ヶ月目ぐらいに友達とご飯に行った時。

「あつきはインドネシアに来たときは全く話せなくて、本当にどうしようかと思っちゃったよ。でも、もう問題ないね今は」


そんなことをさりげなく後から言われたことがあった。


彼らはずっと私たちと一緒に過ごして、

私たちの経過を、私たちの知らないところで、私たちの気づかないことまでずっと見てくれているのである。


言葉がうまくなるということはどれだけ彼らと家族になれたかの証左でもある。


語学センスと「家族になれたか」どうかは相関はないかもしれないが、

「うまくなっていく過程を見てもらえた」ことは間違いなく「家族力」に比例する。


家族になれば最後は言葉などいらない。

空気になって、その空気を感じながら、ともにコミュニケーションが取れていく。


インドネシアはすこぶる暑くて本当にまとわりつく暑さがいまだに慣れはしないが、

居心地は良くなっていくばかりで、あと1年半しかないのかと思うと残念な気持ちにもなるが、


「残り1年半の命だから」とケツがすでに決まっている方がきっとパフォーマンスは良くなるはずである。


前置きが長くなったが本題に。



「あつきはインドネシアでピースメーカーにならないとね」


と友達とご飯を食べている時に言われることがあった。



某マンガより「ピースメーカー」という言葉は私は拳銃の名前しか思いつかなかったので、改めて意味を調べた。


なるほど、確かにわたしがインドネシアでしたかったことのひとつかもしれない。


文脈によってピースメーカーの意味は必然的に変わっていくだろう。



アメリカとイランのピースメーカーに日本はなれるかもしれないし、




国際協力においても平和学の中にピースビルディングや平和構築とがあるように、

平和教育ももしかしたらピースメーカーを担うかもしれない。


世界と世界の架け橋をもしかしたらピースメーカーやピースブリッジと呼ぶかもしれない。

そもそもJOCVのロールモデルはPeace Corpsでもある。


友達がサラッと行った言葉に汎用性をすごく感じる良い言葉だった。


バスケットボールにおけるピースメーカーというポジションはないけれど、もし私が今インドネシアでしているポジションをロールプレイとして定義づけるならピースメーカーの呼び名はピッタリかもしれない。(バスケのポジションとしてのピースメーカーを今度定義しよう)


中学生のとき、バスケ部の先生が私の先輩を例えにして

「彼がいないと試合が壊れる」と表現したことを今でも覚えている。



平和とはもしかしたら生み出すもの(Peace Making)ではなくて、

ギリギリで繋ぎ止めて壊れるのを防ぐような金継ぎ(接着剤)のようなものなのかもしれない。


日本が世界と平和を繋いでいられるのは間違いなく現役で活動している人が毎日金継ぎとしての役割を果たしているからなんだと私はいつも思う。



風が吹けば桶屋が儲かるように、


世界はどこもかしこも繋がっている。



世界はどこかにヒビが入ればすぐに世界中に亀裂が走る。

世界はそれほどまでに脆く、そして残酷なものである。


世界のその片隅に入ったヒビを修復に行く人たちのことを、

もしかしたらピースメーカー(JOCV)と呼ぶのかもしれない。



途上国で生きているだけで毎日のようにそのヒビを街中で見かける。


日本のニュースを見るたびに、知らないだけで日本にもたくさんのヒビが入っていることに気づく。




「あつきはインドネシアでピースメーカーにならないとね」


友達がどのような意図でこういったのかは私にはよくわからない。



でも、バスケットボールもオレンジ色の中に金色で「金継ぎ」されていることに今ふと気づいた。


そうか、もしかしたら私もバスケットボールで「ピースメーカー」になれるのかもしれない。



大阪府民は「ラフメイカー」にしかなれないと思っていたけれど、

もしピースメーカーとして私がこのまちで活躍できる日が来たとしたら、

それは私の成果としてきっと仲間たちが語り継いでくれるだろう。



何がピースを作るのか?


何でピースを作るのか?


どのようなピースを私が作ることができるのか?



"Can you be a Peace Maker?"



と聞かれたら



"Sure, it's a Piece of cake"


いつかそう答えられるように、





今日もひとかけらの平和を探しに行きたいと思います。


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