Indo Monolog 27 -6ヶ月がたちまして-
インドネシアに来てようやく半年がたった。
そして歳をまた1つ取りました。
私は誕生日を祝われるのが嫌いなので誕生日をインドネシアでオープンにはしていないので、
インドネシアでバレることはなかったのだけど、
なぜか今日ボスに「お前誕生日だっただろうおめでとう」と一言言われて、
ちゃんと私の個人情報はチェックしてるんだなと少し感心した。
誕生日は親に感謝する日なので、
誰かに祝われる必要はないのだけれど、
それでもなぜか世界中からメッセージが来るのが面白い。
なぜオープンにしていない私の誕生日を、
彼らは忘れずにメッセージをくれるのだろう。
通知が来なくてもメッセージをくれる人というのは本当に稀有な存在で、
少しでも心のどこかで気にかけてくれているというのはありがたいものである。
祝ってくれる人にはできる限りStay in touchでいたい。
さて、インドネシアに来て半年がたった。
私の誕生日はちょうど赴任日を計算しやすいので、
次に私が誕生日を迎えるときは残り半年となる。
あっという間だったのか、まだ半年なのかはわからないが、
あと1年半になってしまった。
自分にとっての「様子見」の半年が終わった。
正直なところあっという間に時間がたってしまったので様子を見れたかもわからない。
しかしこの半年でこの街が自分の中の日常になった。
毎日のように一緒に過ごすインドネシアの家族たちがいて、
毎日のように一緒にバスケをする仲間たちがいて、
いろいろな選手たちにバスケを教えて、
いろいろな街にバスケを教えに行って、
もうこの生活は自分にとって特別なものでなく、当たり前のものになった。
昔に比べたら半年でここまで来れたのはだいぶ早いかもしれない。
モンゴルだったらきっと1年以上かかっていただろう。
「お客さま」ではなくて「家族」になる。
気を遣われなくなってから、
気を遣うことがなくなってから、
やっと自分のやりたいことができる。
誕生日をインドネシアの友達に祝ってもらってその時に改めて考えさせられたことがあった。
「バスケットボールは金持ちだけがするものなのか?」
「バスケットボールより大切なものがある貧しい人たちはバスケットボールをするべきなのか?」
これは私のコアクエスチョンである
「バスケットボールは人を幸せにすることができるのか?」という問いに深く関わってくる。
あと1年半でこの問いに何かしらの形で結論を出さないといけない。
人が生きていく上でマストではないスポーツは、
途上国という毎日がサバイバルの場所で誰かの役に立つことができるのか。
バスケットボールが果たせる役目は何なのか?
今日は活動があって、保護者たちと一緒にご飯を食べていたら、
いきなり私のボスが登場した。顔がひろい。
そして保護者たちと話し始めた。
この街の人たちは私のしらない言語(日本語、英語、モンゴル語、インドネシア語以外)も平気で使う。
なんの話かわからなかったが保護者が食い入るように聞き始めた。
「なんか真面目な話をしているのか?」と耳を傾けた。
もしかしたら聞き間違いかもしれないが、
「バスケットボールはエゴを捨てることができる」と聞こえた。
この表現の仕方はインドネシアらしいと言える。
私なら
「バスケットボールとは誰かに感謝できるようになる」と考える。
言い方の問題で、この2つの文章の行き着く先は一緒である。
私も私のボスも考えていることは一緒なので、私はきっとこのチームで働けることが楽しいのだろう。
人は簡単にエゴを捨てられない。
ましてや自分の命を優先せざる得ない途上国ではなおさらである。
私のボスがバスケットボール通して子どもたちに望むことは
「エゴを捨てさせる」ことなんだろう。
日本人の綺麗事でなく、インドネシア人のリアルな表現の仕方だと私は勝手に認識した。
それは当然鏡のように自分にも跳ね返ってくる。
果たして自分は自分のエゴをこの半年で捨てられるようになっただろうかと振り返ると
きっと捨てられたエゴは多くはないだろう。
もし私(誰か)がバスケットボールを通してエゴを捨てられるようになったとしたら、
「バスケットボールは人を幸せにすることができる」と言える日は来るのだろうか?
残り1年半になった。
バスケットボールが人を幸せにするかどうかはまだ私にはわからない。
それでも
「バスケットボールが人を幸せにする方法」を探さなければならない。
バスケットボールは魔法ではない。
特効薬にもなりはしない。
人を幸せにする「手段」として活用できなければ
私にとって、バスケットボールに価値はないものになってしまう。
誰かを不幸にする手段になってはいけない。
諸刃の剣であるバスケットボールは本当に国際協力の手段として用いることができるのか。
改めてこの半年でインドネシアの生活を過ごしながら考えることができた。
1年半、少しでも自分の問いと戦いながら少しでも成果を出せたらと思う。
モンゴルで出せなかった成果を少しでもインドネシアの子どもの未来をつなぐために。
少しでもバスケットボールが保護者たちの子育てを助けられたらなと思う。
それなら少しはバスケットボールの意味も出てくるだろう。
家族以外のカゾクを作れるような場所になるように。
今日たまたまインドネシアの原風景を見ることができた。
少し何か懐かしく感じた原風景。
昨日、たまたま友達とご飯を食べながら、自分の原風景を見ることができた。
少し何か昔に戻ったような景色だった。
途上国はいつも驕りきった先進国で生まれた自分に大切なことを教えてくれる。
途上国で過ごす意義はもしかしたら
「驕りきったエゴを捨てさせてくれる」ことなのかもしれない。
エゴを捨てて、
くだらないプライドを削れるだけ削ったその先に見える景色を、
できることなら現地の人たちと一緒にみたいと思う。
残り1年半。
リアリティがのしかかってきた。
リア充などしなくていいので、泣きながらでも成長できるように。
4月からあらためて1年、後悔ないように過ごしていきたいと思います。
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