Indo Monolog 24 -国際協力のカタチ-

10月22日に任地に来て盛大に祝ってもらった。

気づけば4ヶ月。あっという間の4ヶ月でありながら全然何もできていない4ヶ月でもあった。


命日ではないが、1ヶ月1ヶ月振り返ることはきっと大切だろう。

あと18回ぐらい繰り返せばあっという間に終わるので、

何とかやりたいことができるようになれば良いなと思う。



特に書くテーマが思いつかなかったけど何となくどれぐらい自分の中の国際協力がこの場で変わったか整理してみたい。


最近ちらほら同期が頑張っているSNSを見ると、


「活動が軌道に乗ってきてるな」


「そもそも活動に辿り着けるレベルじゃないぐらいサバイバル」(特にアフリカ)


「活動がうまくいってないおかげで、自分のやりたいことしっかりやれてるな」


「現地にうまく溶け込んで、現地人と化してるな」


「大変そうやけど、しっかり戦ってるな」


「メンタルやられてるな結構。リフレッシュしなさいよ」


と各々が各々の場所で自分なりの答えを探しに日々帆走している。



活動は本当に職種や国や任地や配属先で何もかも違うので、誰かと比べる必要ない。

というか比べることはそもそもナンセンスである。


どれだけ不遇な任地でも、どれだけ幸運な任地でもその場でできることを探さないといけない。成果も人によって全く違う。そもそも成果とは何なのかもこの世界ではよくわからない。



成果の定義をAIで聞けばそれっぽいことをきっと論文を辿って教えてくれるのだけど、

教科書通りになんて進まないので参考程度にしかならないだろう。



自分なりの納得できる成果を自分の中で探し出さないといけない。


「途上国というサバイバルな環境で日々耐え抜いた」ことが成果かもしれない。


「日本人がそこにいたという記憶」を植えつけられたことが成果かもしれない。


「一緒に活動した誰かが少しでも笑ってくれた」ことが成果かもしれない。


「少しでも彼らの貧困や生活環境を改善できた」ことが成果かもしれない。


「彼らとの活動で自分が少しでも成長できた」と思えたことが成果かもしれない。



目に見えやすいもの。

目に見えにくいもの。


わかりやすいもの。

わかりにくいもの


ありきたりなこと。

奇跡的に起こること。


サステナブルなもの。

一過性の単発なもの。



自分は一体どんなことに対してコミットしたいのだろうか?


専門性やパッション、その人のスペックによって全くやれることは変わってくるけれど、

どうなれば自分が帰国する時に現地の人と笑って「さよなら」を言えるようになるのだろう。



この4ヶ月活動をした。


個人的には全く満足はしていない。

でも、現地の人は本当に喜んでくれている。

明日私が死んだとしても彼らはきっと「あいつはよくやってくれた」と弔ってくれるだろう。


彼らが望むものは十分に差し出せていると思う。

それでも彼らをもっともっとモチベートできているかというとそんなこともないし、

私がいなくなった後に私のDNAは何か残るのか?というとそこはまだ自信がない。

もしかしたら残す必要もないのかもしれないのだけど。



残り1年半として、

彼らと残りの時間で何を創って行きたいのか。


システムなのか、

教材なのか、

マニュアルなのか、

マネジメントなのか、

製品なのか、

規律なのか、

人なのか、

コミュニティなのか。



インドネシアに来て子どもたちを教えているが、


子どもは正直苦手で、自分の得手不得手を考えるとどう考えてもこどもたちを教えることは私の今までもキャリアからも、間違いなく向いていないことは明らかである。


それでもやるからには手は抜けない。


1. バスケットボールを通してバスケットボール以外のことを学んでほしい。


バスケットボールを媒介にした「ライフレッスン」である。

彼らがバスケットボールをやめるまでバスケットボールという武器に人生をRPGしていくのである。


2. バスケットボールを通じて「世界」を学んでほしい。


あなたはバスケットボール(私)を介して「世界」とクロスオーバーしているのだと。

彼らの記憶の片隅にも残らなかったとしても今回私が与えられたミッションはそのように思っている。


国際協力の規模がどんなものであろうと最終的には

「世界(他者)を知り、理解して、共に幸せに生きていくための何かの共有」なんだと思う。


もしかしたらそれはバスケットボールかもしれないし、


プロダクト開発かもしれないし、


インフラかもしれないし、


教育かもかもしれないし、


医療かもしれないし、


もっともっと見えない何かなのかもしれない。



ちょうどオリンピックが今やっていてSNSにそれが溢れているのだけど、

「メダルの有無やその色」だけに人は感動や共感をするのではない。


「いくばくかの人生をそこに捧げて、終わった後に残ったもの」

がその人の日々の日常をより彩っていくのだろう。


「メダルを取りに行こうとしたプロセス」が自分の財産になっていくのだろう。



メダルを活動に置き換えれば、

私が活動を終えた後に残るものは何なのだろう。




最近私のCPの一人であるコーチ仲間が日本へ家族旅行へ行って、

今は大阪を満喫しているところだろうか?

彼に日本から何か物資を買ってきてもらおうと連絡を取っているがふとこんな連絡が来た。


「日本を旅行している間に、あつきがインドネシアで子どもたちを教えていたことが改めて肌で感じ取れたように思う。これが日本(あなたが育ってきた世界)なんだね」と。



私の2年間の活動のプロセスは彼らには届く日が来るのだろうか?




何も期待はしないし、押し着せたりもしない(ように努力したい)。

それはモンゴルで学んだ大切なことなので。



それでも活動の中で少しでも彼らに何か届いてほしいと思う瞬間がたまにある。



私にできることは1つでも多くその瞬間に立ち合い、

その瞬間に少しでも自分にできることはないかと探す営みが、

今の私の国際協力のカタチなのである。



成果を出せたほうがいいに決まっているが、

それよりも自分のプロセスとスタンスを決められた人は強いと思う。


同期のSNSを見ているとよくわかる。


1. Positive - Positive (PP)

現地にひたすら感謝して、現地をただただリスペクトして、

目に映る人との毎日を大切にしている人。


2. Positive - Negative (PN)

よくも悪くも途上国を理解して自分をしっかりと順応させて、

自分の中でしっかりと自分を納得させながら、現地に足並みを合わせて活動できている人。


3. Negative - Positive (NP)

途上国の悪口を言いながらそれを楽しんでいる人。 

何とかもがきながらも自分をアジャストさせようと思考している人。


4. Negative - Negative (NN)

 途上国の悪口ばかりで、SNSから負のエネルギーを発し続けてたり、そもそも見てて心配になる人。

(活動がうまく行っていないか、相当のストレス負荷がかかっているかもしれないが)


ま、だいたい上記に当てはまっているような気がするが、

これは活動フェースでいくらでも状態は変わっていくので自分を俯瞰できていれば十分だろう。



私はPositiveから程遠いのは間違いないが、現地の人と敵対することもない。

(ほんとはケンカするぐらい腹を割ってどんどん話し合いたいのだけれども。。。)




Pessimistic Positiveぐらいだろうか。

ハッピーエンディングにならなかったとしても最後のエンディングだけは見てみたい。

(エンディングばかり考えて今に集中できていないのは本当によくもない気がするが・・・)




新卒は気負わなくてもいい。やりたいことをやりたいだけやればいい。

その過程で自分が成長できたらそれで十分。(と今なら新卒の自分に言うかもしれない)



現職は帰る場所に自分の活動を持って帰られたらそれだけで十分。

日本に帰ってから還元する術を今は身につけておくこと。



もー若くない無職の自分のたどり着きたい場所はどこなのだろうか?


まだ見たこともないエンディングに辿り着けたらいいなと思います。

そのためには変わらず自分の意思を持って日々の生活に潜るのみ。


日付が変わったのでこれから5ヶ月目。


少しずつ活動にギアを上げて、

充実した毎日を送っていきたいと思います。









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