Jindo Basketball 5 -バスケットボールと教育-
先日少しコーチ仲間とディスカッションしたので記憶の整理にここに残そう。
さっき書いてたら消えたのでだいぶ簡略化することをお許しください。
Basketball through Education
Basketball for Education
この2つは明確に違う。
前者は副次的に教育的効果を狙うもの。
後者は意図的に教育的効果を獲得しにいくもの。
「私はバスケットボールの指導者です」
「私はバスケットボールを使った教育者です」
これぐらい明確に差がある。
常々最近感じることが、
「バスケットボールが単に上手くなるだけではなく、〇〇を大切にしています」
という指導者がどれほど座学を練習に取り入れているかということである。
座学はコートに上の話ではない。
机上で(コーチカーターみたいにコートに机置いても良いけれど)
バスケットボールの学習をBasketball for Educationとして行えるかということである。
座学というのはメンタルトレーニングを行っているわけではない、
フィジカルではなくブレイントレーニングを行うことである。
日本のチームで座学にしっかりとした時間と、
真っ当な手法を割ける指導者はどれほどいるだろうか?
わかりにくくいうと「考える力」、
わかりやすくいうとソフトパワーをトレーニングするのである。
ワークショップでも、メンタルトレーナーを招聘してでもありとあらゆる手を使って、
選手のソフトパワーにフォーカスして人間開発を意図的に行う座学である。
ソフトパワーは簡単に言うと
もし、あなたが明日バスケットボールをすることが奪われたとして、
それでもバスケットボールなしに未来をしっかりと自分の足で社会を歩いていくことができるような、諸々の「生きる力」である。
私の高校の時のコーチは異端児で、
みんなにそんなバスケット難しくて高校生ができるわけがないと批判されていた。
みなが予定調和的に各々の役割をインナーミッションとして遂行して、
チームとしての最善手を作っていくというチームスタイルである。
Super Express という名前のチームで、
意味は「超特急」だったけど、
私の中でExpressは動詞で「自分を表現しなさい」という意味だと感じていた。
私はいまだにこのフィロソフィーが好きなので、
現代のとりあえずインディビジュアル技術でノーガード殴り合うバスケットボールが好きではない。
「なぜその選択肢を選んだのか?」の問いに自分の言葉でしっかりと理由を答えられない選手はフィジカルポテンシャルが止まった時に選手としての寿命を迎えるだろう。
バスケットボールの実力など競技をやめた後にはそのほとんどが今後の実生活では役に立たない。もし役に立つとしたら、空き缶をゴミ箱に一回で決め切られる技術ぐらいだろう。
選手が競技をやめた後に、偶然ではなく指導者が意図的に狙って彼らに与えられたソフトパワーの財産に「教育」という名前がつく。
ソフトパワーデザイン。
それを踏まえた上で練習や指導を設計している指導者はインドネシアにはいないと思う。
(それを少しでも多くの人に伝えることが私の今回のミッションでもある)
「子どもの頃はIQバスケなんかできっこない」と人は言う。
でも、大人になってからIQを育てる頃にはすでに性格やパーソナリティが固まり始めてくるので、遅すぎるというか手を後れになるかもしれない。
「惰性でバスケをするな」
私はこの恩師の言葉を今でも大切にしている。
それは「惰性でバスケを教えるな」とも同義だろう。
バスケのために教育がおまけでついてくるのではない。
教育のためにバスケがおまけでついてきているだけである。
そのバスケのおまけにたまに「アタリ」が入っている。
そのアタリをどれだけ仕込めるかが教育者の力量である。
意図的に子どもたちの無意識の潜在意識に自分が狙ったソフトスキルを仕込めるかどうか。
彼らが大人になった時にアラームをセットしてその種が芽吹くように養分も一緒に仕込んでおけるかどうか。
例えばフィリピンのバランガイのストリートバスケットボールで子どもたちが遊んでいる。
コーチは「バスケットボールしたいなら、その辺に転がっているお菓子のゴミをひとつ拾ってきなさい。そうすれば参加することを認めよう」
子どもたちにその意図や意味などきっとその時には理解できないかもしれない。
でも、彼らはバスケをしたいので言うことを聞いて楽しみながらゴミを拾ってくる。
大人になった時に
「ゴミは拾うものである。捨てるものではない」と潜在意識に刷り込まれていれば、
私の活動している体育館はこんなその辺がゴミだらけになっていないだろう。。。。
保護者に意図的にソフトパワーを説明できる指導者はきっと教育者になれるかもしれない。
バスケットボールをうまくする指導者よりも、
バスケットボールのキャリアを終えた後に、立派に理不尽な世の中を生き抜ける力を育む指導者になりたい。
オンザコートはバスケのための、
オフザザコートは教育のためのバスケットボールを通じた、
トレーニングを行ってほしいと思う。
コロナやAIのおかげでGen Zはソフトスキルが希薄になっているからこそ、
デジタルではなく、デジタルなし勝負しろと言われた時に勝負できる力を。
まだまだ教育学の勉強が必要な今日この頃です。
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