Indo Monolog ⑨-言語の壁② ニワトリの歌-
最近コーチングクリニックのSeesion 1が終わりました。
1回目としては大成功。もちろん改善点は星の数だけあるけれど、限られたリソースの中で間違いなくベストでやれたと思います。なので来週から始まるSession 2やまだまだ続くこのコーチングクリニックでしっかり修正していきたいと思います。
誰もが通る道ですが、語学が全く追いつきません。
それもそのはず訓練中サボり倒したインドネシア語では全く何もできません。
アシスタントコーチが私のポンコツインドネシア語をちゃんと意訳して、
真っ当なインドネシア語に意訳してもらって何とこさ成立していますが、
子どもたちは間違いなくほとんど理解できてないだろうから、申し訳ない思いでいっぱいです。
① バスケのテクニカルタームが全くまだ覚えられない
② 日本人にはインドネシアの「L」「R」が簡単ではない
③ そもそもの言語の表現能力とファンダメンタルがなさすぎる
④ マテリアルの準備をもっとしないといけない
⑤ 言語以外のビジュアライズが足りない
⑥ 活動にかまけて語学学習の時間を全く取れていない
⑦ ノンバーバルでもっと表現する必要がある
⑧ 単語の言い間違いで余計に選手たちを混乱させてしまう
⑨ AI等のDXを全く有効活用できていない
課題しかありません。
「言語ができたらもっとできるはずなのに・・・・」
「せめて英語が通じたら・・・・」
なんて言い訳はしたくありません。
嘆いてる暇があればひたすら勉強です。
誰だってランゲージバリアがなければいくらでも活躍できます。
言語ができないのも、選手が自分の意図を理解できないのも、
こちらの言語能力と言語以外の能力に不備があるからです。
言語の壁を嘆く人は
① 自分が言語をできないことを本当の意味で受け入れられていない
(もし現地語ができるならあなたは後天的なgiftedです)
② 日本に住んでいる日本語ができない人を助けるイメージをできない
(英語でもAIでもなんでも良い、言語ですらなくても良い)
③言語ができない割には改善する努力をしていない(訓練中ぐらいの時間を割けばいい)
④ 都度「どういう意味?」と聞けない(現地の人は喜んで教えてくれるのにも関わらず)
⑤ 間違っている時はいつも正してくださいとみんなに伝えておく
自分の言語能力をOver Estimateしないこと。
できないと嘆く前に、
できなくても伝わる方法が他にないのかと模索すること。
自分の言語能力をUnder Estimateしないこと。
毎日少しずつ積み重なっている。
底の見えない池に毎日石を投げているのです。
1日1つでも石を投げていたら必ず積もっていきます。
1日より多くの石を投げる努力をすること。
2年あれば700個ぐらい石は積もります。
丸い石を投げたり、四角の石を投げたり、尖った棒のような石を投げ、
いろんな形の石を投げて、底は一体どれぐらい深いのか、毎日試行錯誤です。
「試金石」という言葉があるように、
(ここでは辞書と違う意味で使いますが)
石は投げ続けると、途中で池の中で金色に変質していきます。
石を投げるのを1日でもサボると金色に変わる確率が減っていきます。
どんな石でもいいのでまずは投げましょう。
もちろん、AIやデジタルデバイスに頼ってももちろんいいでしょう。
言語が本質ではなくてコミュニケーションの「媒介」でしかない。
言語習得は活動の目的ではないので、デジタルリテラシーの勉強もマストだと思います。
(Air podsのイヤホンは同時通訳に対応しました。Apple watchで私は音声翻訳を活用しています)
私は言語センスがなく本当に語学が苦手です。
イギリスに修士で留学したのに英語が全く話せません。
モンゴルで2年間住んだのに全くモンゴル語がうまく話せません
(とはいえ間違いなく私のインドネシア語よりは確実にモンゴル語の方が話せますが・・・)
とはいえ「言語はセンス」と逃げてしまうと楽ですが、
日本語を話すのにセンスなどいらなかったと思います。
「第二言語は話は別」というのもわかりますが、
それもきっと言い訳に過ぎません。
日本人ほど自分の語学のできなさにコンプレックス感じている種族はないかもしれません。
言語ができないことをいちばんバカにしているのは他者ではなくて、
あなた自身ではないでしょうか?
現地の人は日本人が現地語話せないことなど何も気にしていません。
何も気にせずありえないネイティブスピードでお構いなしに、
嬉しそうに私たちに話しかけてくれます。
大切なのは
① 「わからないので丁寧に説明してくれ」と聞けること
後で「半分も理解できてないから」と言えること
② 紙やスマホでスペル書いてもらって家で復習すること
③ 「わかるわけないやろまだ住んで3ヶ月も経ってないねんぞこっちは!! 日本語喋ってくれー!!」と突っ込めること
④ 毎日1つでいいから新しく学んだ単語を実践の例文で使ってみること
(スラングであればスラングであるほどウケる)
⑤ 「できない」ということをコミュニケーションツールとして使うこと
(みんなで教えてあげようという彼らの優しさを作ることができる)
例です。
あまりにも私の表現能力がなさすぎて
「毎朝、ニワトリの歌で朝起こされるんだ」とバスケ仲間に話したら
「ニワトリが歌なんて歌うわけないだろ」と爆笑されて、
いまだにずっとネタにされています。
「ニワトリの鳴き声」というイディオムがあるのに
それを知らずに「ニワトリが歌う歌」と私はなんとか表現したら
彼らにはそれがありえない表現でバズったわけです。
いつぞやのPPAPと一緒です。
外国人でしかできない戦い方があるのです。
きっと「ニワトリの歌」は2年間ずっといじられ続けると思います。
それでも彼らはいつも誰かに紹介するたびに、
「あつきはいつも毎朝ニワトリの歌を聴いているんだ」と誰かにオチまでしっかり説明してくれています。
それをリスニングして反復するだけで
「あ、また私いじりが始まったな。でも文脈は完璧にわかっている。一単語も漏らさずにネイティブの表現をリスニングして盗んでやろう」と毎回その落語が始まる時に集中できるのです。
私が間違って「ニワトリの歌」と表現したからこそ始まったコミュニケーションのあり方です。
もしも私がその場でスマホで翻訳して正しく「ニワトリの鳴き声」と使っていたら生まれなかったコミュニケーションです。
" Don't be afraid. Enjoy the miss communication "
「私は現地語ができない」
より
「現地語ができないからこそ、彼らは助けてくれる」
言葉は現地の人たちと作っていくもの。
現地の人たちがもれなく訛りや方言と一緒に
私たちを助けてくれます。
言語ができないことを嘆くのではなくて、
言語ができないこと自体が「国際協力していけるツール」だと感じましょう。
最後に。
わたし「じゃーニワトリの鳴き声はインドネシア語でなんていうねん?」
バスケ友達 A 教えてやろう「ニワトリコケコッコー」です。(Ayam kukuruyuk)
まじでそのままやん・・・・
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