「毒リンゴ」
活動が始まってようやく3週目に突入した。
2週目で全国大会があって、
帯同させてもらえたことは本当にありがたい限りで、
これによって大まかな任地のバスケットボールの現状のレベルや課題、
自分が一緒にこれから仕事をしていくCP達やキーパーソン、
自分がするべきことが早い段階で見えてきたように思う。
久しぶりのこの国際協力の現場に来たことが本当に懐かしくて、
自分のブランクが少しずつ解消されてきたような感覚がきた。
そらそうだ12年も空いているのだから。
それでもこの2年間のプロセスが本当に懐かしくて、
「あったなーこのフェーズ。あの時も同じように自分はイラついてたな確か」
幸い今回は「お客さま」の時間は初日の半日で終わった。
もー任地に赴任したその日からお客さまではなくなった。
今回は信じられないぐらい活動がスムーズで、
任地の問題なのか、国の問題なのか、
はたまた12年という時間の経過なのかはわからない。
それでも最初のスタートは間違いなく前回よりはきれいに切れたような気がする。
デモのせいで任期スタートが3週間も遅れたのに不思議なものである。
2週目にして全国大会に帯同させてもらって、
ほぼ24時間寝食を共にして見えてきたたくさんの課題。
「お前なら今日の試合どのようなプランでゲームを展開する?」
「任地に帰ったらお前からたくさん学ぶことがある。覚悟しておけ」
「コーチ、どうすれば明日の試合はもっと良くなりますか?」
「コーチ、私はひらがなとカタカナは読めます。日本のことをもっと教えてください」
2年じゃ足りないぐらいのたくさんの課題を今回の全国大会で見つけた。
間違いな2年間では足りなくて、間違いなく2年ぐらいでは何も進まなくて、
それでも2年の中で自分が「何を差し出せるか」をひたすら模索しないといけない。
そもそも差し出す必要もないかもしれない。
新卒の時はただただ学ばせてもらうことの方が多かったから。
一緒に彼らと1秒でも多くの時間を過ごすだけでも十分なのかもしれないけれど、
今回は少なくとも「残したいものがある」と思えて、
「残す力が自分にはあるし、やり方もすでに知っている」と思えることはやはり歳をとったような気がする。
2年の限られた生活では、
「何を差し出すか?」と同じぐらい
「どこまでそれを差し出すか?」がミッションの鍵。
なまじ途上国の粗が見えてくると
「絶対に日本のやり方のが正しいのでここは全部変えたい」と思う時が多くある。
バスケに関してはグローバルスタンダードが確立されているので、
「勝ちたいなら間違いなくこうした方がいい」というのは多くあるけれど、
それをどこまで途上国に「押し付ける」かがその人の力量である。
「相手が欲しがっているもの」と、
「自分が差し出したいもの」が往々にしていつも違う。
特に「自分が差し出したいもの」の価値がわかってもらえないことの方が多い。
途上国のニーズは即時性であり「目にみえるもの」が優先される。
バスケの話で言えば「勝つための即効性のある手段」になるだろう。
一方で自分が「差し出したいもの」に即時性はおそらくなく、
目に見えずらい「持続可能性があるかもしれないソフトパワー」の方が多いだろう。
現地が欲しがってるものと自分が与えたいものを擦り合わせる作業。
この作業はコミュニケーションの量と、 お互いの相互理解の質で決まる。
結局はどちらもリスペクトと信頼の質に比例する。
何を欲しがってるかをリスペクトすること、 何を与えようとしているかを信頼してもらうこと。
前回のモンゴルの時もずっと迷っていた。 「どこまで差し出して良いのか?」
わたしはよく躊躇することがある。
「これ以上差し出してよいのか」 わたしはよくやってしまうのだが、
「ここモンゴルじゃなくて日本だから(やりすぎ)。
あなたは早く日本人に戻らないといけない」
日本の社会では途上国のやり方は全く通用しなくて、
いつも日本にアジャストするのに困った20代。
差し出せば差し出すほど拒否されるのが、全部とは言わないが日本のよくある社会。
途上国では日本人のステレオタイプ的なコンプラを意識しすぎて逆の現象が起こる。
「もっと自分を出しなよ。自己開示しないとあなたのこと何もわからないよ?
日本のことなんか気にしなくていいからもっとこの国に馴染んでいいんだよ?」
自己開示が足りないといつも言われた2年間だった気がする。
すでにインドネシアでも言われた。
「声が小さいからもっと声を張りなさい」
(メダンの人はインドネシアでいちばん話し方がうるさくてきついと言われる。まるで大阪の人みたい。)
「指導してる時にあつきは怒ることあるの?いつも静かだから」
(彼らはまだ私が猫かぶっていることに気づいてない。たぶんコーチの誰よりも私が怖いことを)
日本人は「自分を差し出す」ことを恐れがちである。
なぜなら日本の社会ではそれは美徳とされていないし、
拒絶された時の対応を知らなくて、それに耐えれなくなるからである。
しかしもっと自己開示をしたほうがいい。
それはコミュニケーション以外でも、普段の振る舞いでも。
背中で自己を開示していくこと。
「日本人であること」
「日本人を捨てること」
2つを矛盾なくそのパーセンテージの割合を毎日変えていく作業。
途上国の人のいいところは、
日本人みたいにしょうもないことをいつまでもぐじぐじ気にしない。
日本人みたいに空気を読む文化はなかったとしても言えば通じることがほとんどである。
(時間等の規律はノーコメントでお願いします)
日本人の奥ゆかしさよりも、日本人の耐久性(辛抱強さ)で勝負してほしい。
2年間で「日本人のダメなところ」を全て直すチャンスである。
日本で許されないことのほとんどのことは現地の人は暖かく受け入れてくれる。
昔、お世話になってない先輩に言われたことがある。
「CPとネイティブで本気でケンカできるようになって初めて1人前」
・怒らせることのできる語学力
・怒らせることのできる勇気(恐れないこと)
・怒らせても許される信頼関係
・怒らせた後に和解できるコミュ力
・怒らせても自分を伝えたいと思う自己肯定
もちろんわざわざケンカする必要などないのだが、
ケンカできるぐらいの「自己主張」ができたかどうか。
(間違いなくケンカした方が語学力は伸びるとは経験的に思う)
「自分が何を差し出せるか?」
「その中で自分が何を差し出すか?」
「そしてそれをどこまで差し出すか?」
「相手はそれを受け取ってくれるニーズがあるのか?」
「相手はそれを受け取る準備と信頼関係はすでにそこにあるのか?」
タイミングは流れ星のように流れていく。
(モンゴルは流れ星いくらでも見れるので例外)
2年間で流れていく無数の流れ星。
いくつ自分が拾ってそれを差し出せるか。
そして、
その流れ星は「毒リンゴ」であることを忘れてはいけない。
間違いなく日本のやり方が正しかったとしても、
現地人はそれをそのまま齧ると死ぬ場合がある。
日本のやり方が現地にアジャストするとは限らない。
「今じゃない」ことが往々にしてある。
まだそのフェーズが、まだそのタイミングが来ていない時に、
リンゴを差し出しても中毒症状が出て終わりである。
どのタイミングで、
毒の量はどのくらいで、
どうやって渡せば彼らが安全に食べられるか。
途上国に限らずであるが、2年間の計画を考える時には、
どれだけ多くの種類の毒リンゴを自分が準備して、
いつでも差し出せる準備をしているかである。
この時はこのリンゴ。
その時はそのりんご。
一緒に寝食を共にして、
現地の色に侵食されないように、
日本と現地との新色を作れるように、
毒リンゴマスターにならないといけない。
少しずつ信頼関係を築いて、
いつかとっておきの毒リンゴを食わせてやりたい。
ちなみに最近CPに
「あつき、これは辛くないから大丈夫」と言われて、
泣くぐらいの毒リンゴを食べさせられました。
毒リンゴマスターはまだ道なかば・・・・・
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