Indo Monolog ⑥ -Popnas ①-

朝はムスリムのお祈りの爆音のスピーカーとニワトリの鳴き声で起きる。

だいたい5時前にお祈りが始まる。

目覚ましをセットしなくても、朝が起きやすくなるのはありがたい。

(今度同僚にお祈りに連れていってもらおう。文化を体感するには足を運べ)

まだ荷造りが終わってない。


任地に来たのが10/22日。ようやくweek2に突入と思ったら、

今日からPopnasのため上京(首都ジャカルタ)。


次は首都に上がるのは1年ぐらい先だろうと思っていたら、

任地に来て8日目。


Popnasとは日本でいうところの高校生の国体(全国大会)のようなもので、

バスケットボール以外にもたくさんのスポーツが行われる国祭的な行事。



日本との違いはPopnasは2年に一回しかないということだろうか。

つまり、すでに2年の任期を切った私にとって最初で最後のPopnasになるということである。



北スマトラ代表のアドバイザリーコーチとして、帯同することになった。

3x3も5on5も。

快く送り出してくれた同僚たちや、暖かく迎え入れてくれた選手たちに感謝したい。


チームに帯同するのいつぶりだろうか。

久しく現場を遠のいてた自分にとっての遠征は本当に懐かしいものでしかない。


選手が全力でパフォーマンスを出せるように、

スタッフたちは裏方で全力で彼らをサポートするのである。


昔とある代表チームで働いていた時に、

裏方のハードワークを垣間見たことがある。


誰もが各々の役割を遂行して、

選手たちが最高の舞台で最高のパフォーマンスが出せるように、

裏方は寝る間も惜しんでサポートに徹する。


そのプロフェッショナルの人たちの流儀は今も忘れない。


とある選手が足を捻って、

朝までその選手に氷を当てていたトレーナーがいた。


ユニフォームが破れた選手がいて、

朝までそれを縫って直していたトレーナーがいた。


米が食べれない国で選手のためにおにぎりを作り続けていたマネージャーがいた。


朝まで相手チームのスカウティングをし続けていたテクニカルスタッフがいた。


選手たちが無事に選手村まで行けるように最後の最後までペーパーワークをフライトのギリギリまでしていたバックオフィスがいた。



現場に居合わせるということはその全てを間近で見ることができて、

その熱量を体感することができる。


チームスタッフは1点も取ることができなくても、

その選手が1点を取るために、遠征中のすべての時間を選手のために捧ぐ。



久しぶりにこのヒリヒリする現場に戻ってくることができた。

現地に来て2周目でこの熱量がやってくることはなんとありがたいことだろう。



さて、自分の役目はなんだろうか?

もちろん決まっている。


やれること全部である。


昔、プロフェッショナルの人たちの仕事を全部見てきた。

誰一人としてサボってる人たちなんか見てこなかった。



やらなければいけないことは何もない。

アドバイザリーだから。


でも、アドバイザリーなんだったら全部やれる。

だって昔全部見てきたから。


オリンピックに行くために全力で戦ってきた仲間たちを。



自分が何をしたらいいか探すのである。

コーチングでも、

広報でも、

渉外でも、

分析でも、

コンディショニングのケアでも、

メンターでも。


言語ができないことを言い訳にする暇があるなら、

言語を使わなくてもできることを探せばいいだけである。




指示待ちはいけない。

自分の役割は自分で探すものである。

自分の居場所は自分で作り出すもの。


お膳立てしてもらえる2年間は存在しない。

形など決まっていないのがこの2年だから。

自己開示も含めて、自分が差し出せるものを探す2年間。


昔はモンゴルで何も差し出せずに悔しい思いをしたけれど、

昔は代表でなんの役に立つこともできなくて足を引っ張ってばかりだったけど、

今ならきっとなんだって差し出せる。





勝とうが負けようが「本気の現場」にいられることはそれだけで

寿命が伸びる。(アドレナリン出過ぎて寿命が縮むこともあるが・・・)


このPopnasに参加できるおかげで大会が終わってからの自分がこの2年で、

この任地のために自分が「何を差し出せるかが」少しずつ見えてきた気がする。


やりたいことは山ほどある。2年で終わる気もしない。


やりたいことが山ほどあるのに言語の壁がそれをさせてくれない。

やりたいことと言語の力が噛み合わない。


でも、できなくても2年間手を抜かずにやり続けることしかできない。

手を抜かずに「やり切った記憶」が自分を成長させる。


手を抜かずにやり切った背中を選手に見せることが、

次世代へのpay it forwardである。



こんなにも祭りにワクワクするのはいつぶりだろうか。


どんな規模であれ代表戦は楽しい。


「勝利至上主義なんてただの傲慢だ」


そんな言葉をよく最近は耳にするが、


負けるために練習してる選手はいない。


勝利至上主義は勝つためにチームが全員で最善を尽くすもの。


勝てば何してもいい訳ではない。


勝つという目標のために各々ができる最善を差し出し合うから、

最後例え負けたとしても大切なナニカをそのプロセスから学ことができる。



最善を尽くして学んだその「おまけ」が、

次の人生のステージへの「餞別」になる。


それがわかっている今の配属先はジュニアからの育成にずっと力を入れている。

勝利に至るためのプロセスを育成から上積みしているのである。



バスケを上手くするために教えているのではない。


人を育てるためにたまたま「バスケを使っているだけ」なのである。


惰性のビデオゲームでは人は育たない。


惰性のバスケットボールでも同じこと。


彼らには高校時代に1回しか来ないPopnasでどんどん成長してほしい。

「バスケットボールを通して彼らは何を学んで帰ってくるのか」


1週間のお祭りでも、彼らの成長はきっと目を見張るものがあるのであろう。


これからの北スマトラのバスケットボールのために何ができるだろうか?

私もこの1週間でしっかり彼らの成長を支えながら、

自分の差し出せるものを模索していきたい。


結果よりも最善を尽くしたかどうか。

その最善を少しでもBetterにできるように、サポートしていけたらと思います。


ケガしないようにしてください。

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