Indo Monolog ④-言語の壁-
任地に来てやっと1週間が経った。
2027年の8月末に任地を引き上げるとして、
任期が97週間としたら、あとこれを96回繰り返せば終わる。
あっという間に終わってしまう。
だからこそ1週、1周を大切にしないといけない。
惰性で生きたらここに来た意味が全てなくなってしまうので。
同期と話している時に少し言語の話を思い出したので、
また偉そうにアドバイスしたいと思う。
(辛口になるので最後まで読むかは自己責任で。飴と鞭のパートに分けるので、飴だけ読むと良いだろう)
任地に派遣されて最初の3ヶ月は言語の壁がそびえ立つシーズンである。
当たり前である。
たかだか65日ごときで言語が話せるわけなどない。
任地に行ったら自分が65日で学んだ言語で現地の人が話しているのは当たり前である。
65日で教わることなど基本的なものしかなく、
現地に行ったらスラングばかりである。
それも当たり前である。
先生が教えてくれる丁寧な言い回しを現地の人が使うわけがない。
私たちが丁寧な、正確で文法的に正しい日本語を普段使っているだろうか?
そんなことを考えたらごくごく現地の人の言葉がわからないのは当たり前のことだろう。
例えば大阪府民は
「このメシはほんまにあれやな。めっちゃあれが効いててたまらんな」
もし、この言語を外国人が聞いたら間違いなくひとつも理解できないだろう。
日本人にしかわからないコンテキストがそこにはある。
もはや大阪以外の人もよくわからんかもしらんぐらいまである。
なので、「言語が全くわからない」と凹んでること自体が烏滸がましいのである。
そして言語ができなくて現地の人に馬鹿にされることももちろん「あるある」である。
(幸い私は全く言語ができないポンコツではあるが、優しいコーチや選手に恵まれ、
みな一生懸命「解読しよう」としてくれている)
現地の人からしたら最低限度の言語もできず、
全く現地の文化を理解していない日本人がいきなりやってきて、
とりあえず現地の文化を掻き乱すやつが現れたとしたら、
自分がもし日本で受け入れる立場であればどれぐらい「やっかいなやつ」が現れたかはよく理解できるだろう。
誰もが通る言語の壁をどうやって乗り越えていくかは人それぞれであるが、
少しでも参考になればと思うので以下に記録しておく。
自分の戒めのためにも。
① まずはプライドを捨てる。
自分が話せないと言うことを受け入れるのがファーストステップ。
「日本語ならいくらでも伝えることができるのに・・・」
こう思ってる時点でそこにプライドが透けて見える。
そんなの誰だって当たり前で、それをどのような手段で達成するかが、
この2年で問われている資質である。
Bafa Bafaは何のためにやったのかよく思い出してほしい。
言語のことを今悔やんでも遅い、国が決まった時点で、任地が決まっていた時点で、
現地語の学習を開始すればよかった。でもそれは今から言っても始まらないので、
まずは自分が今まで何もしてこなかったことを受け入れることが優先である。
たかだか2年で言語が話せるようになるのなら、全ての日本人は英語話せているはずであるから。(ちなみに私はイギリスの大学院に行って2年間弱行ったが全く話せないまま終わった。
サボりすぎたからである。あとアカデミックな生活は、リスニングとスピーキングにはそこまで劇的な影響はなかった。自分の生活の中のコミュ力も問題だっただろう。)
自分のできなさに凹む暇があったら、単語1つぐらい増やせ。
「言語できないのねあなた?」と馬鹿にしてくるやつがいたら
「じゃあ日本語話してくださいよあなたが。でしょ?だから私にもっと言葉を教えてよ?」
と言い返すワンフレーズを覚えて、毎日のように繰り返し言い続けなさい。
② デジタルガジェットetcを駆使する
今のご時世幸いなことにAIもあれば、
ドラえもんの「翻訳こんにゃく」に近い同時通訳アプリやイヤホンが発売されている。
ローカル言語には対応していないのも間違いないが、現地語でもいくらでも探せばAIの力を使って学習できるだろう。「ローカルすぎて現地語の情報が・・・」と言う暇があったら、
AIの勉強をますしっかりして、どうプロンプトを打てば、効率よく現地語を学べるかまずは手段を探るべきだろう。自分が話せるための最短ルートは間違いなくAIが教えてくれるだろう。
他にもオンラインで世界中から、もしくはオフラインで現地語を教えてくれる家庭教師を雇えば良いだろう。Native Campを使えば現地人をそこで捕まえることもできるかもしれない。
③ 日々の生活にルーティンを組み込むこと
私の昔の先輩はモンゴルで生活しながら、モンゴル語の語学学校に自腹で通っていた。
私の昔の同期は任地では使わないが、フランス語のために家庭教師を自腹で毎週雇っていた。
私の昔の同期は帰国してから日本でずっと週末フランス語の学校に通って、
会社勤めがどれだけ忙しくてもそれをずっと続けてフランス語を話せるようになった。
言語習得は「質×量×継続頻度」である。筋トレと一緒で継続できないトレーニングに未来はない。65日間継続したからこそ「しゃべれるような気分」になったのである。
65日間継続できたのなら、650日間継続したら良い。
私のチューターに口を酸っぱくして言われている
「日々の活動にかまけてないで、やるべきことはちゃんとやりなさい」
「活動が忙しいのは言い訳」である。
(活動が暇な人はぜひその時間全部言語の時間に使えばものすごいことになるでしょう)
途上国の生活は緩やかで、その惰性に釣られて「ま、いっか」と思うときもあるが、
活動は緩やかなのはもちろん二人三脚なので仕方ない。
でも、自己研鑽に「今日ぐらいサボってもいいか」はないのである。
先述した任期中に活動とは全く関係のないフランス語を勉強していた同期には
「体調壊すぐらい勉強したことあるの?もしないなら君の英語は一生そのままだよ?
活動言語がモンゴル語だからって、英語勉強しない理由になるのそれ?」
ごもっともである。
(結果、私はその後にイギリスへ留学することになるのだが・・・)
なので、どうにかルーティンに語学の時間を強制的に組み込むことが望ましい。
④ 自分なりの勉強の仕方を見つけること。
活動のための言語は、言語学習のための言語とは意味合いが違う。
例えば私の職種で話をしよう。
バスケットボール指導の場合は
① ~しないでください(いちばん使うフレーズ)
② テクニタルタームは大体英語で通じるが、
説明文は大体「 if ~ 」の条件構文になることが多い
③ 65日で習った生活基本用語ではどうにもならない
④ 口語表現やスラングが多すぎて1文の単語数は多くなくても何言ってるかわからない
ことが圧倒的に大部分を占めている。
なので私が意識していることは、
ひたすら彼らとずっと一緒にいる。
1秒でも多く彼らと共に時間を過ごすこと。
しょうもない雑談の中で、自分が知りたかった表現が出てくる時に、
アンテナを敏感に貼って、その場でメモする。
彼らがチームのグループチャットで日々の共有事項をシェアしている。
わからない単語や文はすぐAIにかける。そのひとつひとつを自分のノートに記録して、
ボキャブラリーを増やす。スラングで辞書にかけても出てこないから、それは翌日に口頭で直接聞く。
「それってどういう意味? 英語で言うと何?原形のスペル書いてくれない?」
先ほどのプライドに話に関わってくるが、その質問を2年間で何千回もできるかどうかが、
プライドを捨てるということである。
「みんなに迷惑かけられない」
現地の人がそんなことを気にするわけがない。
自分が逆の立場になったら「何千回も日本語の質問をしてくる現地人」を無碍にすることはあるだろうか?
あるわけがない。
プライドとは「言語の壁」ではなくて「自分が勝手に現地との間に線を引いて、それがチリと積もって壁」になってしまっているのである。
言語の壁をよく「自分のプライドで塗り固めた壁」とすり替える人がよくいるが、
言葉ができないのではなくて、言葉を言い訳に自分ができないことを正当化しているだけである。
個人的にやはり思うのは、言語ができるかどうかはコミュケーションの量をどれだけ増やせるかどうかである。対象がこどもの場合は、勝手に喋りかけてくれるので、語学が大幅に伸びる気がする。対象が大人の場合は子どもたちに比べてコミュニケーション量が減るかもしれないが、その時は自分からコミュニケーション取ればいいだけの話である。
日本語ばかり話していたり、日本語ばかり使っているとその機会を喪失してしまう。
日本語なんて使う暇ない1日を作ってみてはどうでしょうか?
スマホなんかなくても現地の人が必ず助けてくれるのだから。
④ 言語以外で勝負する。
2年間の活動で言語ができることはマストだが、プライオリティはいちばんではない。
そのための専門性や自分のパーソナリティである。
バスケットボールは究極的には言語を必要としない。
それ自体はグローバルランゲージであり、ノンバーバルなので、
最悪「このようにして」というワンフレーズともにデモンストレーションすればいいだけである。
そろそろデモンストレーションするのも難しい歳になってきてるがそれも言い訳であるので、
毎日練習には入り、言語ができないのであれば身体で表現できればと思う。
「それはスポーツだからできることなんじゃ・・・私の活動は職種柄そうはいかない・・・」
では、その職種でしかできないコミュニケーションの取り方を探し出してはどうだろうか?
「その職種ならそうやってコミュニケーション取れるのか。その手があったか」と誰もが羨むようなコミュニケーションの取り方が必ずあるはずである。
コミュニケーションの取り方は人それぞれ。
飲んで分かり合えることもある。
歌って分かり合えることもある。
喫煙所で仲良くなれることもある。
一緒に料理してコミュニケーション取れることもある。
日本の文化を伝えたときに何か理解してもらえることもある。
下手くそな現地語で活動上手くいかないと愚痴ってわかってもらえるコミュニケーションもある。
どれだけ言語ができて、専門性が高くて、性格が悪い人。
言語ができなくて、専門性も大してなくて、それでも真摯に自分のできなさを受け入れ、
笑顔を絶やさずに、みんなに愛され、そのコミュニケーション力から信頼を勝ち取れた人。
どちらが現地に評価してもらえるかは言うまでもないだろう。
「言語は必須でも、最重要ではない」
2年後の自分が目指す姿は
「ペラペラになって、そこそこ活動がうまくいってる自分」?
それとも
「ペラペラにはなれなくても、こいつは大して喋れないけど、バカにするな。毎日一生懸命頑張ってるんだ。こいつが日本からわざわざここに来てくれたことが私たちは嬉しいんだ。こいつじゃなきゃダメだったんだ」と現地の誰もに愛されて、ファミリーになれた自分。
どちらになりたいか?
現地の愛し方は人それぞれ。
現地の人からの愛され方も人それぞれ。
私はどちらも苦手なので大した信頼関係は気づけないかもしれないが、
それでもひとつだけ私にはわかる。
自分から愛さないと愛してもらえない。
もし自分が愛されたと感じたなら、次の日にはそれを2倍にして相手を愛し返すこと。
日本人がいちばん苦手とする「自己開示」
思ってるより開示しても現地では全然足りてなかったりすることが多々ある。
日本の流儀を頑なに守ってると現地で通用しないことも多々ある。
「日本人と現地人の間でどれだけ現地人の血を濃くできるか」
日本人のプライド捨てに行く2年間ではないのか?
(もちろん捨てていけないJapanese Prideもある)
「ここにいてもいいのか?」と相手を伺うのではなくて
「ここに居たい」と自分の意思をしっかりと相手に伝えること。
もー任地で1ヶ月が過ぎればお客さまは終わり。
(私はあと3週間しかない・・・)
スーパーVIP待遇はもうない。
言語が話せなくて許されるのは1ヶ月で終わり。
2ヶ月目からはお客さまではなく、身内になるのである。
お客様には優しくても、家族に厳しくなるのはどこのご家庭でも一緒だろう。
「家族になる」
そのプロセスは、喧嘩や衝突、喜怒哀楽の全ての感情をコミュニケートして初めて可能になる。
我慢などしなくていい。
最低限のリスペクトを持って、言いたいことを言い合えばいい。
自分が至らないときは謝って、助けてもらったら感謝を伝えれば良い。
コミュニケーションは言語ではない。
そのプロセスを2年間どれだけ積み重ねられたかどうかで、
最後の言語能力も変わってくる。
昔にモンゴルの先輩がいた。
彼女はモンゴルのど田舎のバレーボールの先輩だった。
衣食住をほぼ子どもたちと一緒に暮らした。
とある寝台列車に乗った時、
たまたま相席したおばあちゃんに本気でネイティブと間違われていた。
彼女は新卒で別に最初からモンゴル語に精通していたわけではない。
ただただコミュニケーションの質と量がずば抜けていたのである。
私は極度のコミュ症なので私のモンゴル語は全く上手くならなかったけど、
往々にして言語能力はコミュニケーション能力に比例している。
言語は一定のセンスが必要になるかもしれないが、
コミュニケーション能力は間違いなくトレーニング次第でそれなりに上げることができる。
天性の天真爛漫さはもしかしたらそれも才能かもしれない。
(私にはないGiftedなのでいつもそんな誰かを見ていると羨ましく思う)
ただ、コミュニケーションは自分の戦い方を見つけることができる。
自分にしかできない戦い方である。
お金があるなら通訳を24時間雇えばいいだろう。
アニメが好きなら現地の人と一緒にアニメを見ればいいだろう。
KPOPが好きならみんなで踊ればいいだろう。
旅行が好きならみんなでどっか遊びに行けばいいだろう。
座学が好きなら家に24時間引きこもってひたすらインプットに時間使えば良いだろう。
一緒にご飯を食べに行けばいいだろう。家に案内して貰えば良い。
スマホを家に置いて、日本語を1mmも使わない日を作ってください。
日本語を常用しているうちは現地語など身につきません。
私は自分の戦い方として
「体育館に住む」ことを選んだ。
8:00-24:00までは必ず誰かががいる。
フロアに降りればみんなとおしゃべりできる
24:00-8:00も管理人が相手してくれる。
コミュ症であるなら強制的にコミュニケーション取れる環境を敷けばいいだけ。
まだ1週間しかたってないが、もうすぐみんな私の存在に気づいてくれて、
きっと面白がって話しかけてくれるだろう(相手待ちなのはダメだが・・・)
全く私はモンゴル語が上手くならなかったので、
今回はモンゴル語よりインドネシア語が上手くなれるようになりたい。
なので、これは自分への戒めである。
インドネシア語をしっかりと勉強して、
帰る時に言われたい。
「もーすっかりインドネシア人になったな。また遊びにこいよ」と。
言語は誰かと比べるものではないが、
努力なくして流暢な言語は身につかないし、
コミュニケーションなくして、信頼を勝ち得た先の言語は絶対に身につかない。
コミュニケーションは少しの才能と普段のトレーニングである。
トレーニングとは「日本人のダメなところを捨てる作業」でもある。
どうせ任地で日本人なんかいないんだから「旅の恥は掻き捨て」と思って、
2年間しかないあっという間のジャーニーを恥で積み重ねて行ってください。
その積み重なった恥は、帰る頃には全てが財産になって、
その全てが日本へ持って帰るいちばんの土産話になるのだから。
現地人を笑わせることができるぐらいのワンフレーズは身につけましょう。
ちなみに今のところインドネシア人にいちばん受けるフレーズは
「恋人はいるのか?」といつもの挨拶で聞かれた時に。
「募集中です。誰か紹介してください」
がいちばん笑いを取れるので、そちらでもぜひ試してください。
コミュニケーションを恐れないで。
壁の正体はなんのか?
自分が作っているその壁の正体に気づけたら、
あとはその壁を自分で壊すだけです。
壊すその道具は
現地の人と一緒にコミュニケーションとっていく中で自ずと見つかっていくはずです。
2年間なんてあっというまのジェットコースターなんだから。
ジェットコースターは怖がっていると、あっという間に終わります。
怖さの中に、楽しさを見つけましょう。
さ、こんなことを書いてる暇あったら、私もバスケしてきます。
コミュ症の私に唯一コミュ力を上げてくれるのはバスケなので、
この武器だけは私のGiftedかもれない。
みなさんのGiftedはなんですか?
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