Indo Monolog ③ -Started my 2 years-
2025年10月22日。
とうとう待ちに待った活動が始まった。
2027日9月8日の終わりへのはじまりでもある。
職場の人たちは本当に良くしてくれていて感謝の意は尽きない。
こんなに幸せでいいのかというぐらい何もかもが順調で、
こんなにも暖かく迎えてくれているのはやはりインドネシアの国民性が本当に優しい人たちばかりなのだろうと思う。
こんなろくにインドネシア語を話せないポンコツ人材を大切にしてくれる限り、
もっともっと彼らに貢献する術を探したい。
自分にしかできない2年間の戦い方を見つけたい。
戦いとは誰かとの戦いではなくて、自分との戦いである。
自分がより高みに行くための2年間の果てなき階段である。
バスケットボールは相手と戦うのだけれど、
相手は実は敵ではなくて、
自分というラスボスを倒してくれる最後の仲間である。
まだ着任して4日しかたってないが、
たくさんの仲間と再会して、
新しいたくさんの仲間に出会って、
新しい生活がスタートして、
昔のモンゴルの時の生活を思い出しながら、
Brand New Lifeを楽しんでいる。
本当にこの2年間の生活はRPGそのもので、
村の人に全員に挨拶しながら新しい情報を仕入れて、
武器屋に行って少しずつ武器(生活品、家具etc)を手に入れながら、
いろんな敵(異文化、カルチャーショック、ハプニング、無理ゲーetc)を倒して、
最後は自分だけのオリジナルエンディング(任期満了)を迎える。
こんなにおもしろい人生ゲームも世の中にはなかなかないだろう。
良く同期が半泣きになっていることが多いのだけど、
偉そうにアドバイスするならば、
所詮2年間の人生ゲーム。
だからこそ日本で体験できないことを2年間でやるべきである。
日本でできることをこの2年間でやる意味はあるのか?
ということである。
あなたにしか作れない物語を紡いでください。
誰もが羨むような2年間を。
この2年間はあなたの人生の中で
人生でTop 3には入るであろう大切な2年間です。
あなたの人格をより良いものにできる2年間です。
私がきっとインドネシアの2年間に今から感謝できるようになったのは、
間違いなくモンゴルのおかげです。
(強敵すぎて危うく殺されそうになったこと多数あり)
必ずあなたの人格の大切な大切な1ピースになるので、
2年間の最終目標であるラスボス(クソッタレな自分)を倒してください。
大切な仲間と共に。
2年後にどこまで登れるかわからない終わりなきその階段も、
タイムアップが来て振り返ると自分の軌跡が間違いなくそこには残るので、
その軌跡を大切にバックアップを取りながら、
最後まで起こり続ける奇跡の連続を楽しんでください。
みなさんのSNSをいつも楽しみに見ています。
さて、少しだけ今回私の家自慢を。
いろんな人にお願いして、体育館に住めることになりました。
「あほちゃう?」という人も多々いるけれど、
私にとっては人生で最初で最後の体育館が家になる2年だろう。
(とあるチームいた時は違う意味で体育館が家みたいになっていた・・・)
夜誰より遅くシュートを撃てて、
朝誰よりも早くシュートを撃てる。
なんなら朝までシュート撃ってても良いだろう。
バスケットボーラーにとってこれより幸せなことはきっと起こり得ない。
朝寝てても目覚まし時計のようにニワトリが鳴いて、
朝は管理人がコートの掃除を始めた頃におはようの挨拶して、
気づけばドリブルとバッシュの床を擦る音が聞こえてくる。
夜中になってもララバイのようにこだまするその音が、
何度でも私の2年間を見守ってくれる。
きっとお母さんのお腹の中にいる赤ちゃんがその心音で寝るのと同じぐらい、
このドリブルと床の擦れるスキール音と子どもの笑い声は私にとっての「心音」なんだろう。
私が体育館に住みたかった理由は2つある。
1つは「すべてはいつも現場で起きる」からである。
途上国あるあるなのは「予定が急に変わる。けど知らされない」
日本人は「そんなの聞いてない」と良く言い訳をする。
半分は途上国が悪いが、半分はコミュニケーションを取ってない自分が悪い。
その微かな変化をつぶさに逃さないようにするには現場に住めばいいだけの話である。
ここにいれば必ずその変化がわかる。
相手のドリブルばかり見ていると出し抜かれてしまうので、
見るべきはボールではなくて、ヒトである。
もうひとつはここが私にとっての「居場所」だからである。
私は子どもの時から極度の寂しがり屋だったので、
それは今でも変わらない。
もちろん1人暮らしはしたことは何回もあるけれど、
やっぱり自分が良く覚えてるのは「誰かと暮らした記憶」である。
大学の時は下宿して下宿メートができた、
東京で過ごした時はシェアハウスでルームメートができた。
カタールで暮らした時はなぜかコーチと審判と一緒に共同生活をした。
イギリスで暮らした時はシェアフラットでフラットメートができた。
いつも海外に行く時や日本国内を遊びに行く時に、
人様の家に泊めてもらいに行くのもきっとその「記憶」を創りたいからなのだと思う。
日本の体育館と違って、
ここの体育館は毎日ほぼ朝から夜までフルスケジュールでいろんな人がバスケをしに来る。
スクールキッズ、
代表チーム、
そのへんのおっさんたち、
大会のホーム、
子どもの保護者たち。
毎日毎日違う人が来て、
間違いなくこの体育館は、
この街の人たちが集まる"Place"で、
"Community through Basketball"である。
バスケットボールを通じて毎日毎日人がここに集い、
日々新しい「ケミストリー」が生まれる。
ここに体育館という「ハコ」があるからこそ、
そのプロセスが「非日常のような日常」として私の2年間を流れていく。
私がここに番人のように(本当は管理人の相棒がいるので彼がほんとの体育館キーパー)居られるからこそ、バスケットボールを通じてたくさんの人との出会いを楽しめるのである。
好きなマンガ(少し意訳してます)に
「大学の教員になるもんじゃないよね? 卒業生を見送ってばかりで、見送るだけの人生で。下手したら彼らと今後の人生で2度と会うことなんてないかもしれない。会わない方が多いだろう。学校の先生は一生卒業できない「亡霊」みたいなもんだと思わない?」
という言葉があって、「永遠の牢獄」に閉じ込められているような哀愁のニュアンスだったのだけど、
私は今回2年間限定の「亡霊」になれることができる。
大学の教員(ある意味それも亡霊だったけど)を辞めてまで選んだこの2年間の「亡霊」。
誰もが帰っても私だけここに残ることができる「亡霊」
(正確には管理人の相棒がいるのである意味体育館シェアか・・・)
私のとって「亡霊」とは孤独ではなく、
孤独にならないようにインドネシアからもらったGiftedである。
今も体育館でひとりでこのブログを書いているが、
(何度も言うけど下の部屋には相棒がきっと寝てる。いつも夜も朝もコート清掃してくれてありがとう)
体育館に住めたからこそ寂しくない。
朝寝ててもまた誰かのドリブル音とスキール音が私を起こしてくれるから。
とある曲の好きな歌詞に
「どっかで誰かがヒザを抱えて泣いているなら、そんな孤独に負けそうな夜こそ、その人のために歌うよ」
とあって、
もしかしたらこのブログが誰かに届いていればいいのだけれど、
亡霊が何しゃべってもきっと聞こえはしないだろう。
でも私が亡霊(先生)とひとつだけ違うことがある。
私にはHoopがある。
私にとってバスケットゴールは「亡霊の大先輩」である。
孤独に負けそうな夜は、
シュートを撃って先輩に話を聞いて貰えばいい。
ボールさえあれば私は先輩と「対話」できる。
だから寂しくはない。
ひとり暮らしの体育館生活は、
シュートを撃てば
バスケットボールの神様がコートに降りてきて、
いつでも同居できるのだから。
2年間の神様との同居生活。
何本撃てるか(対話できるか)楽しみです。
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