Indo Monolog ①


インドネシアに来てキラキラ2週間になる。

2週間といえどほぼ毎日誰かに会っていて、

何人の友人と再会して、何人のインドネシアの新しい友達ができただろうか。

まだ任地にすら行ってもいないのに。

ReunionとEncounterの繰り返しでこの2年間が彩られていく。

オンラインで知り合ったけどまだオフラインで会ったこともない彼らと、

昔の仲間が紹介してくれたまだ会ったこともない彼らと、

たまたまその辺で偶然エンカウントしたけどご縁が会った彼らと。

今日はイギリス人の友人と7年ぶりに再会した。

彼と始めて会ったのはイギリスに留学したとき。

グラスゴーで修士を必死に取って、そこは私の大切な故郷になった。

最後に彼に会ったのは日本で、コロナの始まる半年ぐらい前だった。

お互いの7年を報告しあった。

お互いなかなか怒涛の7年を過ごしていた。

いや、彼の人生に比べたら私の人生なんかよっぽどぬるい7年だったかもしれない。

それでもお互いいろんな国を経験して、だからこそシェアができる話がたくさんあって、

あの時できなかった思い出話や、今だから笑って話せる懐かしい話をたくさんした。

なぜ私たちはグラスゴーで会ってその時はそこまでの仲ではなかったのに、

今インドネシアの片田舎でなぜかコーヒーを飲んで昔の話で盛り上がっているんだろう。

あたかもここがグラスゴーのような、

あたかもここが最後に会った茨城のど田舎のようなそんな懐かしい匂いがした。

「仲間が世界で今もフロントランナーで走り続けている」

私にとってこれが何よりも私の背中を押してくれ、

「そろそろいい加減にモンゴルなんて忘れてインドネシアのスイッチ入れたら?」

とダメな自分を、ダメじゃない自分が自答してくれている。

あと1週間でようやく待ちに待った任地への出発。

あと1週間でやっと自分のおそらく最後の2年が始まる。

人生の全部をバスケに捧ぐことができる時間はこれで最後かもしれない。

世界といちばん繋がれる2年間になることはきっと間違いないだろう。

昔はいつもできないことをひたすら嘆いていた。

もしかしたら少しは大人になったかもしれない。

今は嘆く前にどうすれば、何でその状況できる最善か考えるようになったかもしれない。

世の中のほとんどは結果論で、後悔というものは後からしかできないので、

前悔という言葉はないので、過去から悔やむことになるのだけれど、

間違いなくその時に最善を尽くしていれば、その後悔はきっと減るだろう。

今日彼と話している間に私たちは

“It’s my 7 years”

“It was my turning point”

“That’s my life”

としきりに話していた。

いろんな大変なことがあったのだけど、こうしてまた笑って世界のどこかでReunionできている。

世界にでなければできなかったReunion。

もうひとつ。

去年インドネシアでワークアウトしたプロチームの選手にも再会することができた。

彼はインドネシアのバスケ界では有名で、代表候補にもいつも選出され、SNSでもみんな知っている。

彼はもう少しいたら日本に旅行に行くらしい。

もしかしたら彼の日本への憧憬に、私が1mmぐらい噛めたかもしれないと思うと、

あの時の彼のワークアウトも意味があったんだなと勝手に合理化してしまっている自分がいる。

「国際開発はただただ日本を伝えることで意味があることなのかもしれない」

個人にできることはたかが知れていても、

誰かの中に「日本」を残せたらそれはもしかしたらInternational Interchangeになるのかもしれない。

世界は広いのだけど、

私が世界と日本の距離を縮めることができる。

私の願うグローバリゼーションは

糸でご縁を紡ぎ、

ゴムにしてその縁と縁を結って円にして、

最後は引っ張ってそのレジリエンスで世界を近くする作業なのかもしれない。

世界をバスケットボールで加速させることが私の2年間のいちばんのミッションで、

半径5cmだけでいいので、山手線よりその縁をSpinさせる2年間でありたい。

世界で頑張っている仲間がそこにいる限り、

私が彼らとReuinonする限り、

私の半径5cmは容易に世界を網羅する。

任地に行くまでにまだ時間はもう少しあるけれど、

きっとまだ私がここでできることはあるはずで、

できないことを100嘆いても、

そこにできるただ1つのことを確実にExecuteする。

気づけばここには書ききれないぐらいの出会いと、まだ2週間とは思えないぐらいの洞察が生まれた。

2週間でここまでこれたのは、

あのほんとに何もできなかったモンゴルの2年間があったからなのかもしれない。

後悔した2年間は間違いなく14年経ったいま少しずつ回収でき始めている。

後悔とは、

未来で回収するための、

未来への宿題なのかもしれない。

必ず未来で回収してやろうと想うことができたなら、後ろを振り返らずに前を進めるかもしれない。

International Developmentは気づけば、

自分をDe-Velop internationallyする作業なのかもしれない。

思ったより良いスタートを切れているのは、

昔見えなかったものが今は少しずつ見えるようになったからだろう。

もう少しでモンゴル語からインドネシア語にスイッチが切り替わる。むしろ英語が下手になってきている。

あと1週間。

レジリエンスを貯めよう。

任地で最速のスタートダッシュが切れるように。

14年ぶりのレジリエンスなので、

アキレス腱切らないように善処します。

焦らずに欲張って、

驕らずに自発して、

愚痴りながらリスペクトして、

叫びながら微笑んで、

仲間と共有しながら孤高して、

Pessimistic and Affirmative で、

その先に見える景色はきっと、

14年前にわたしが見れなかった、

14年後にわたしが見たかった景色だと信じて。

自分の過去と未来を、

今の自分が繋いであげたいと思います。

願わくば、

目に映る誰かとともに。



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